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世界史 高校生

問題 奴隷の輸送が行われた背景には何があったか、説明している本文に下線を引こう どこか教えてください🙏 とても見づらくてすみません🙇‍♀️

どの 巻頭 30 ト教の布教も進められ、フランシスコザビエルが九州を中心に活動した。 1506~52 から ガ 17世紀にはオランダの東インド会社がポルトガルに武力で対抗しなが ら交易に参入し、江戸幕府のヨーロッパ唯一の貿易相手となった。さらに、 日本 p.52 p.19 ジャワ島を中心に植民地も広げた(後のオランダ領東インド)。 イギリスも、 東インド会社を設立して東南アジア進出を目指したが、オランダと争って 敗れ断念した。その後、進出先をインドに変えたことで、17世紀末には、 ヨーロッパ諸国の間で対アジア交易の主導権を握った。 18世紀のアジア にぎ p.51 ヨーロッパの アジア交易参入 16世紀に入ると、ポルトガル・スペインがインド 洋交易に参入した。 ポルトガルはマカオに、スペイン きょてん 巻頭 29 はマニラに軍事拠点を築き、日本や中国との交易にも乗り出した。キリス 北アメリ たいこう 1000 10 交易は、アフリカ回りの航路が陸路を圧倒するようになった。 あっとう 史料 アメリカ大陸と 大西洋三角貿易 きそ 17世紀の北アメリカでは、 イギリスとフランスが 競って植民地を拡大した。 この結果、南北アメリカの、 多くの地域で、先住民の社会と文化が破壊された。 はかいP.29 巻頭32 どれい 15 か ポルトガル・イギリス・フランスなどの奴隷商人は、西アフリカの現地 支配者たちから武器や雑貨と引き換えに黒人奴隷を買い集め、船でプラジ ルやカリブ海の西インド諸島、北アメリカ南部の植民地に輸送した。 植民 地からヨーロッパへは、砂糖・ たばこ・コーヒー・毛皮・銀などが運ばれ た(大西洋三角貿易)。なかでも銀は、インド洋交易などを通じて最終的に 20 中国へと向かった。 この貿易によって、 西アフリカでは、 19世紀までに p.22 約1200万の人々が移動を強制され、人口の減少がみられた。 黒人奴隷の 多くはプランテーション経営者に売られたが、 それは南北アメリカの先住 巻末 1 5 民人口の激減による労働力不足を補うためだった。

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地理 高校生

こういうグラフの覚え方、語呂合わせみたいなので良いのがあれば教えていただきたいです!

赤道 米・小麦の主要栽培地 米 小麦 (1点=10万t) 米・小麦の移動 (2019年) 米 50万~70万 70万 90万 90万以上、 [FAOSTAT. ほか 小麦 200万~300万 300万~400万 400万以上 米・小麦の生産地と貿易 読み解き 米と小麦の輸出量には,どのような違いがあるのだろうか。 ちが 米の生産国 [米の輸出国 [FAOSTAT] 国 イ ン 月 1 2 ド 4 3 5 6 7 8 (2019年) (2019年) 日 本 その他 21.3 その他 インド 中国 ミャンマー 18.4 23.0% 中 国 27.7% ミャンマー 3.5 合計 5.1 合計 アメリカ合衆国 タイ 3.8 5.8 7億5547 万 4236 【北 6.4 中国 Ft タイ 7.2 16.2 ベトナム 7.2 インド 23.5 パキスタンベトナム バングラデシュ /7.2 アメリカ 10.8 12.9 インドネシアー 合衆国 小麦の生産国 (2019年) 小麦の輸出国 中国 (2019年) カザフスタン 17.4% 3.0~ その他 ロシア 15.2 17.8% その他 ドイツ 33.2 合計 インド (7億6577 13.5 ルーマー3.4 ニア 13.1 合計 アメリカ 5.3 Ft 1億7952 合衆国 Ft 15.1 南半球 ドイツ 球フランス イタリア ロシア カナダ イギリス ペルー ブラジル 南南アフリカ共和国 オーストラリア パキスタン ウクライナ ドイツ/2536.8 ロシア 9.7 オースト 5.9 ラリア カナダ アルゼンチン チ リ アルゼンチン 7.4 フランス 12.7 [ECONOMIC しゅうかく き 11.1 カナダ フランス アメリカ合衆国 ウクライナ ↑2米・小麦の生産国と輸出国 ●世界各地で主食とされる米と小麦 ↑3 小麦カレンダー 各国の小麦の収穫期を一 小麦カレンダーである。 北半球では3~10月 ~2月が収穫期となる。 しゅうかくりょう [1]米穀物のなかで単位面積あたりの収穫量が最 いね すぐ 大であり, 栄養も豊富で食料として優れている。 稲 の生育には高い気温と多量の水が必要で、 特に植え かんがい 付け時期には豊富な灌漑用水を必要とする。 生育期 間中の2~3か月の平均気温が20℃を超える地域 いなさく さいばい ちゅうせき が稲作の好適地であり, 低平で灌漑しやすい沖積平 野 (p.18) で主に栽培されている。 主要産地であ あるモンスーンアジア (→p.35, 225) では,米を主 食とする人々が多く, 小規模な水田が主に家族労働 により耕作される。 収穫量の大半が自国で消費され, 輸出されるのは生産量のごく一部に満たない。 れいりょう しつじゅん [2] 小麦 生育期に冷涼で湿潤,成 そう 燥する気候が栽培に適する。 秋に種 穫する冬小麦が多いが, 冷涼な地域 まき秋に収穫する春小麦の栽培も行 と冬小麦,また北半球と南半球とで ため、年間を通して世界のどこかで 小麦はパンやパスタなどの原料にな 使われる。 米と比較すると国際商品 強く、全生産量の2~3割が 小麦の主要輸出国での生産は, きぎょうてき ひかく きわ また企業的経営により、極め 90 [Key Words] 米 小麦 冬小麦 春小麦 とうもろこし 大豆

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英語 高校生

最初のwhileは、〜だがっていう意味じゃダメなんですか?あと九行目のアラブ世界中にっていうのは、アラブを通して世界中にっていう意味であってますか?

音読をしよう! 02 While it is common to speak of the “Silk Road." // no one seems to mention a “Coffe Road" even though some of its segments would be equally ancient and the relationshin established just as lasting. // Originating sometime prior to 525 in the Ethiopian province of Kaffa/ (from which th drink gets its name), // coffee was first used as an aid to religious prayer. // By the mid-15 century, // coffee drinking had sailed from Yemen up the Arabian Peninsula, // leaving in path the world's first coffee farms. // Indeed. / coffee always traveled in easy partnership wit Islam. // The world's earliest coffee houses opened in Mecca / and from there sprea throughout the Arab world. // Each culture along the Coffee Road left its mark on the drink. // In Yemen, which held global monopoly on coffee for hundreds of years, // the roasting of coffee became custom.// Yemeni people traded the beans via the Red Sea port of Mocha // (afte which, centuries later,/Americans would name their chocolate-flavored coffee). // h Turkey, various spices including cinnamon were added. // The Tunisians improved the drin with orange-flower water, // and the Moroccans added dried rose blossoms/as wella balsamic spices. // コンシーダード Coffee was considered a problem by many people from the start. // Catholic official wanted it banned from Europe. // After all,/ Christians drank wine but Muslims dran coffee. // Had Pope Clement VIII not been willing to try the drink of the non-believers, // th Coffee Road might never have reached Europe. // But instead of banning it, in 1600/th Pope declared it delicious and blessed the coffee. / His decision effectively threw open thr gates to a lively new culture // the European coffee house, // セローにごる Within the next 100 years, cafes sprung up all over Europe, // starting in Venice. Given the delight in the stimulating drink / and its commercial potential, // Europeans brough ■he coffee plant to their colonies in Indonesia and the Americas, // Around this time the Coffee Road took a surprising new turn / and entered Japan through the back door. // Dutch Merchants in Japan, who were permitted to live only on the small artificial island of Dejima 「were enthusiastic coffee drinkers. // From 1641, // knowledge of coffee began aki アスティック through this fan-shaped island. // 日本語訳 正正 C00229 「シルクロード」について話すことはよくある一方で, // 「コーヒーロード」について話す人はい ないように見受けられる。コーヒーという分野の一部は網と同じくらい古くからあり,/築かれ た関係もちょうど同じくらい長続きしているはずなのにもかかわらず、である。// 525年より前のあるとき,エチオピアのカッファという州で誕生し/ (この地名にちなんでこの飲 み物の名前がつけられた)/コーヒーは、最初は宗教的な祈りの補助として使われていた。 //15 世紀半ばまでに, //コーヒーを飲む習慣はイエメンからアラビア半島へと船で海をわたって伝わ り,//行く手で世界初のコーヒー農園ができていった。 // 実は、コーヒーは常にイスラム教と 調和して伝播していったのだ。//世界最古のコーヒーハウスはメッカでオープンし、そこからア ラブ世界中に広がったのである。 // コーヒーロード沿いのそれぞれの文化が、 この飲み物に影響を残している。 // イエメンでは,/ 何百年にもわたって, コーヒーにおいて世界で独占的な地位を占めていたコーヒーの焙煎が慣習に なった。 // イエメンの人々はモカの紅海に面した港を経由して豆の取引を行った // (この地にちな んで何世紀も後に,/アメリカ人がチョコレート風味のコーヒーに名前をつけることになる)。// トルコでは,/シナモンなどの様々な香辛料が加えられた。 //チュニジア人は橙花水を加えてコー ヒーの風味をよくし, // モロッコ人は乾燥させたバラの花びらを加えた/バルサムの香辛料だけで なく。// Lesson 2 コーヒーは初期より、多くの人々からやっかいな問題だとみなされていた。 // カトリック教会の 聖職者たちは、 ヨーロッパでコーヒーが禁止されることを望んでいた。 // なにしろ,キリスト教 徒はワインを飲んでいたが, イスラム教徒はコーヒーを飲んでいたからだ。 // ローマ教皇クレメンス 8世がキリスト教信者でない人々の飲み物 (であったコーヒー) を飲んでみなかったら, // コーヒー ロードはヨーロッパにたどりついていなかったかもしれない。 // しかしコーヒーを禁止するどころ か、1600年に, 教皇はコーヒーがおいしいと言明し、 コーヒーを祝福した。彼の決断が功 を奏し、活気ある新文化への門戸が開かれたのだった // ヨーロッパのコーヒーハウスという。 そこから100年もしないうちに, / ヨーロッパ中に喫茶店が誕生した / ベネチアに始まって。 この刺激作用のある飲み物を飲む楽しみと,そのビジネスチャンスを考慮して、 // ヨーロッパの 人々はコーヒーノキ [コーヒーの木] をインドネシアおよび南北アメリカ大陸の植民地に持ち込ん だ。 // この頃/コーヒーロードが驚くべき新たな展開を見せ、裏ルートで日本に侵入したの った/日本在住のオランダの商人たちが,長崎沖の出島という小さな人工島にしか住むこと 許されていなかった。熱狂的なコーヒー愛飲家になっていたのだ。 // 1641年以降// コーヒ に関する知識が少しずつ日本に流れ込み始めたこの扇形の島を通じて//

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