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世界史 高校生

写真ページの所の歴史の流れがごちゃごちゃになってしまって、分かりやすく教えて頂けたら助かります🙇‍♀️

0 300km 5 ウィーン体制下のヨーロッパ 地時代と変わらなかった。 政治の面では、軍事力をもった指導者が実権 をにぎり、独裁によってどうにか国家の統合を保った。 また、 経済の面 でも、工業化はすすまず、 地下資源や農作物のモノカルチャーに依存し、 6E 年)七 自由の女 と駆り立 いそん しえん 独立運動を支援して進出したイギリスの資本に従属した。 伯父 ナポ 5 ヨーロッパでも、同じ言語や宗教、文化をもつ が 「諸国民の春」 人々が一つの政治的なまとまりをもつべきとい こい う国民意識がめばえ、この考え方をもとに国民国家をつくろうとするナ 運動がおこった。 国家を作ろうという ショナリズムの運動と、政治参加や自由な経済活動を求める自由主義の 自分たちで 0 とりわけフランスでは、1830年にパリの民衆が蜂起して専制政治をお いやしゃわい みおう 渡目 した。 な支持 改革 こなっていた国王を退位させた七月革命)さらに1848年の革命でおわって じゅけんては、 は普通選挙を求めるパリの労働者が立ち上がり、臨時政府が成立した した 1848-52 植民 第一共和政 この二つの革命の影響はヨーロッパ広がったが、6 とくにヨーロッパ全体が革命運動にゆれた1848年の春は「諸国民の春」と もろ 5 独立 から ンスタ まよばれた。ウィーンとベルリンでは三月革命がおこり、 メッテルニヒは 失脚してウィーン体制は崩れた。 しかし、これらの革命は、保守派の巻き返しで最終的には圧された。 AD フランスでは、強力な政府を期待する民衆の支持を背景に、 レオンが国民投票で皇帝ナポレオン3世となり、第二帝政を樹立した。 Apo たも 165270 0 彼は、社会政策と積極的な対外政策で人気を保ったが、ブロ 16/0 ほうかい (音仏戦争でプロイセンに大敗すると、第二帝政は崩壊した。そ その後もフランスの政治は安定しなかったが、 1875年になって、大総 ・二院制を定めた憲法が成立し、ようやくフランス革命以 フランス国際 来の音由主義による政治が定着した第三共和政)。 けいい 1870-1940 CQ ナショツリズムのは、どのような経緯で大西洋両岸に広がったのだろうか

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現代文 高校生

国語の評論文の要約についてです。 先輩に要約は絶対にできるようになった方がいい、役立つと教わったので力を入れるようにしました。添削やコツを教えて頂きたいです。

なった。 アジア再発見の時代 □ 日本が中韓ひいてはアジアの国々とどう向かい合い、関わっていくかが現在、大きなキロにあるのは言う までもない。ここではこうしたテーマを、時事的な話題に即してというよりは、少し長期の視点から、また 私自身の個人的な経験も踏まえる形で考えてみたい。 2 福沢諭吉の脱亜入欧〟論をまつまでもなく、明治期以降の日本にとって、その目指すべきモデルは「欧 米」であり、中韓を含むアジアは遅れた”、そしてそこから抜け出ていくべきネガティブな存在として規 定された。言い換えれば“欧米日本中国・アジア”という明確な「序列」 意識や価値観がまずここで形 成されたのである。 これは日本にとっては若干の複雑な心理を伴うものであって、なぜなら江戸期までの日本人ないし日本社 会にとって、教養や学問の規範であったのは何より中国の古典や思想等々だったからである。私は明治期日 本のこうした過程を「文明の乗り換え」と呼んでいる。 *2 その後の日本は戦時体制期には鬼畜米英〟などといった標語もトナえられたが、敗戦とともにそれもま 180度転換し、戦後はとりわけ米国をあらゆる面でのモデルとして進んでいった。こうして見ると、明 治維新以降の日本の歴史とは、どの国や社会をモデルないし準拠とし、また自らのアイデンティティー、ま たは、よりどころをどこに置くかという点に関する「転変」の歴史だったとも言えるだろう。 3 ここで多少の個人的な経験にふれさせていただければ、高度成長期の中期に生まれ育った私にとって、さ しあたり豊か〟で進んだ国とは米国や欧州諸国であり、1980年代の末に米国の大学院で2年を過 ごした際も(米国が決してモデルとなるような社会でないことはそこで十分認識するようになったが) 中韓 やアジアにはほとんど関心が向いていなかった。 しかし2000年代に入る頃から、勤務先の大学に中国からの多くの留学生が来るようになり、彼らと話 す中で、私自身の中国やアジアに対する見方に相当な先入見や固定観念があることに気づかされるように 20 たとえばある女子の留学生は「男女平等という点では日本より中国のほうがずっと良かった」と言う。こ 容が多かったのである。 れは私にとっては意外な指摘で、さらに話を聞くと、男女の家事分担が日本よりも中国のほうが柔軟である とか、公の場で女性が明確に意見を言うことについて日本社会は否定的な面があるとか、考えさせられる内 2 また、たとえば1年に中国の大学での講義に行った際、当時は日中関係が大きな冷え込みを迎えていた時 期だったので、日本の知人から中国では十分気をつけたほうがよいということを再三、言われて現地にオモ ふいたのだが、当地での学生の反応は非常に活発かつフレンドリーで、日本のメディアでの中国報道(ある は中国人の日本観に関する報道がそれ自体、相当なバイアスを含むことを認識したのである。 13 集団内で一つの論や“空気”に同調する傾向が強いと思われる。 回 私自身のソッチョクな認識としては、中国社会はきわめて多様ないし多元的であり、日本のほうがむしろ 3 44 回 中韓やアジアについて語るべき点はなお多い。先ほど明治期以降の日本は、準拠とする国や自らの立ち位 について転を繰り返してきたと述べたが、ポスト成長ないし人口減少社会を迎える今という時代は、日 中国やアジアについての 関係から考え直し、その再定義ないし再編を行っていく時期で もあるのではないか。 そのためにも、まずは自らの先入見や固定観念をいったん括弧に入れ、相手の国や社会や人を知っていく ことが重要であり、それはむしろスリリングな発見とびを伴うプロセスであると思えるのである。 注 *1 福沢諭吉一八三五~一九〇一蘭学者、思想家、教育者。 アジア再発見の時代 *2 鬼畜米英 *3 バイアス ゆがみ、へだたり。 太平洋戦争中に厳国であるアメリカ、イギリスを蔑視して呼んだ標語 4 ポスト ・・・高度成長期の後「ポストー」は「―の後」の意。 To 35 B

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