✨ Best Answer ✨
政府の思惑:口分田不足を 開墾で補いたかった。
実際の結果:農民には広がらず、貴族・寺社の荘園が増えて 公地公民制の崩壊を加速した。
つまりご質問のとおり、口分田不足の問題は解決せず、むしろ悪化してしまったのです🙇
政府は「開墾地を班田に回すこと」よりも「耕地を増やして税収を確保すること」を狙った。
そのため「私財化」でもよい、と割り切って 開墾を奨励した。
しかし実際には、荘園拡大 → 公地公民制崩壊 へ進んだ。
こう考えると、
「口分田不足対策」ではなくて、実際には「税収対策」だった🙇
なるほど、分かりました!ありがとうございます🙇🏻🙇🏻♂️🙇🏻♀️
墾田永年私財法が制定された743年には何がありましたか?大仏造立の詔を出して、後の東大寺の建設が始まったのが743年でした。ではどうして大仏を造立しようとしたのでしょう?鎮護国家という言葉からわかるように社会を安定を仏教の力で成し遂げようとしました。ではなぜ鎮護国家が叫ばれたのでしょう?737年に天然痘が流行して多くの人々が亡くなり人口が著しく減少します。また、740年には藤原広嗣が反乱を起こしました。このような社会不安を背景に鎮護国家が言われるようになったのです。では、それを実現するために東大寺をつくるとなると、莫大な資金や労働力が必要となりますよね。しかし、疫病の流行で人口は激減。田地は荒れ果ててしまいました。そうなれば、悪化した税収を何とかするため、また荒れ果てた田地の再開発も必要です。そうなれば、民間で力のある人に荒れた土地を再開発させたいと思わせるような政策が必要ですよね。それが墾田永年私財法です。
ありがとうございます🙇🏻🙇🏻♂️🙇🏻♀️
そのような背景があったのですね。納得しました!他の質問にもご丁寧に教えていただき、感謝しております。ありがとうございます
ありがとうございます!すみません、開墾者がその土地を永久に所持していては、その土地を他の人の口分田に回せないのに、なんで政府はこの法を口分田不足のために出したのでしょうかという意味です。分かりにくくて申し訳ないです!