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ここでは開発領主の事でしょう。

にんじん

回答ありがとうございます!!!
開発領主が武装
→争いが頻発
↑これを鎮圧するために中下級貴族が武士に。
ということですか??
武士となったのは開発領主だ思っていたのですが勘違いでしょうか??
回答頂けると幸いです。

Pクレゾール

武士の誕生というテーマは長い間歴史学会の一つのテーマでした。その中で有力だったのが、有力農民が武士へと進化したというものでした。ここで言う有力農民は田堵や開発領主にあたります。しかし四半世紀ほど前、その定説は鎌倉期以降に見られる武士の多くが貴種の血を引いていることから、基本的に否定され、押領使や追捕使、国司などで地方に降った貴族がそのまま地方に土着をし、その後武士へと進化したという考え方が一般的です。
ですから
下級貴族→現地に土着→開発領主→武士
のルートもあれば、
押領使・国司など→現地に土着し領主化→武士
のようなルートもあります。ここがややこしい点ですね。
恐らくこのプリントで書かれているものの具体例を挙げれば、例えば前者は
桓武平氏
平忠常
後者は
清和源氏
源頼信
でしょうか。彼らは両者共に先祖は天皇ですが、臣民となり、前者は曽祖父高望王の代に上総介として現地に赴任し、忠常含む子孫が土着しブイブイ言わせていた連中ということになります。
後者の頼信は同時代に甲斐守、追捕使に任命され、忠常を降伏させています。その恩賞により美濃守に任命され、晩年には河内守任命により清和源氏は畿内周辺に地盤を築くことになりますし、子の頼義は忠常の乱鎮圧に関係していた平直方という人物の娘と結婚し、その遺跡(ゆいせき)を継承しています。(これが鎌倉)

ダラダラ長く書いてきましたが、つまるところ開発領主が武士になったも正しいですし、押領使などが武士になったも正しいということです。

にんじん

そういう事でしたか!!詳しく書いていただきありがとうございます!おかげでイメージしやすかったです!
武士になるにもルートがいくつか存在したのですね
ほんとにありがとうございます!!!すっっごく分かりやすかったですからです!

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