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Contemporary writings Senior High

これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

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Japanese classics Senior High

井原西鶴の古典の読みが全くわからないので教えていただきたいです。 とにかく漢字は全て教えていただきたいです。 わかる範囲でも結構です🙏 後家になりぞこなひ

武分弟世 持洞」 北国 生 か子峨さ寺宗道 経三深万が年国る吉 をの “算“支前 遊県°け 次 分どりな は 宿 後家になりぞこなひ えい 雀景拝みめぐりて下向すれば、乙は存中の里、越の海道には家居すぐれて 構をみがき軒をならべ、煙寛なる町づくり目だちけるに、人箔の女袖にすが b、日ははや七つにさが る、と引き込みけるに、いづNp 一夜の仮りまくら、 旅の寝覚めの淋しく、明日のタベの里までの事、命はしれぬ行末思ひっぃけ * Sらゃ て明かしかねたるに、あるじの物語るをきけば、此の所分銅町曾根薬屋甚九 郎とて、はじめは裏店かりて草履をつくり、鍋取り売るなど、誰しらざるも 越の国 のなし。されどもその身一代にかせぎ出し、俄分限となり、今は三ヶ所の家 屋敷蔵、肩をならぶるものなく、その弟甚助·甚七も、幼少より国里隔て売 えし られけるを呼び返し、手代分に家を治め、日にまして栄行く末の頼もしかり しに、さしつぎきの弟甚助、兄にかはりて万しどなく、 商売そ 乙~になして、 収り ど しかも色好みなるより、商ひ事にかこつけ三国の湊へ通ひ初め、二度の節季 の帳前たびどとに三五の十八、はらりと違ひて次第ましの不足、積れば大き にあくところありて、甚九郎もたび~意見するに聞き入れず。 はや彼の所 初川といへるを請け出すにきはまりしと、脇より是を告げしらせた るにたま りかねて、内証勘当して追ひ出しければ、外に停むかたもなく、哀れにさま 4 5く ょひ歩きしを、母の不便まさり、甚九郎が目を忍びて死なぬ程のみつぎして、 るたはら 同じ所の側に裏店からせて置きぬ。かくて年月かさなり、ある時甚九郎つれ づれなる雨の日淋しく、日頃将基好きにて、むつかしき詰物の図を案じける なが 程に、朝の四つより七つ半まで詠め入り、さても今合点がいた、これで詰む S他 ものを、と吐息つきながらうめきける音したるに、何事と女房かけ付けて見

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Biology Senior High

問題の解答をよろしくお願いします。

◆カタラーゼの実験問題 問題 試験管8本用意し、 以下のAからHの組合せで試験管の中に入れ、 気体の発生を観察した。 下の 問題に答えなさい。 試験管 試験管に入れたもの A 蒸留水5mL B 蒸留水5mL 生の肝臓片 Ig C 蒸留水5ml 酸化マンガン(V)Ig D 3%H202水5回L E 3%Hz0z水5mL 生の肝臓片Ig F 3%Hz02水5mL 酸化マンガン(V)Ig G 3%Hz02水5mL 煮沸した肝臓片 Ig H 3%Hz0z水5mlL 煮沸した酸化マンガン(IV)ig 問1.化学反応式を促進させるはたらきをもつが、 それ自身は変化したり分解されたりしない物質 を総じて何というか、 答えない。 問2.間1で答えた物質のうち、 生体内で働く物質のことを特に何と呼ぶか、答えなさい。 問3,間2の物質は何を主成分とするか、 答えなさい。 問4.生の肝臓片に含まれる H:02を分解する物質を何と呼ぶか、 答えなさい。 間5.この実験で気体が発生する反応の化学反応式を書きなさい。 問6,試験管A~Hのうち、 気体が発生するものをすべて選びなさい。 問7,気体の発生が終わるまで時間が経ったあと、 生の肝臓片を入れると新たに気体の発生を観察 することができるのはどの試験管か、すべて答えなさい。 問8,気体の発生が終わるまで時間が経ったあと、 3%Ha02 を 5mL加えたときに新たに気体の 発生を観察することができるのはどの試験管か、 すべて答えなさい。 間1 問2 間3 間4 間5 問6 間7 問8

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Contemporary writings Senior High

⑶.⑷.⑺.⑻を教えてください

昨日、久しぶりに“梅雨の晴れ間に、大文字山を登った。先月の激しい雷雨で土砂が“クズれ、 足もとが悪いところもあって、散歩にしては 。ゲワしい道程である。そのぶん、登り切ったときの爽 快感も格別だ。山頂からの眺めを楽しみに登る人も多い。僕は大体、考えごとをしながら登るので、 山頂に着くとそのまま景色を °一督して引き返してしまうのだが、昨日は珍しく、しばらくぼうっと していた。 すると、遠く彼方に連なる山の緑の中に、キラッと光るものが見える。正体はいまひとつ。判然 としないが、山の中の何かが太陽の光を反射しているのだろうと思う。それが、キラッキラッと、繰 り返し光る。僕は遠くのその光が、遠くに見えるということが何とも不思議に思えて、ただ。ギョウ ふした。 太陽の光が何かに当たって跳ね返り、その光の粒子が空中を伝わって。フクザツな物理化学的過 程を引き起こし、結果として、脳内にある活動のパターンが生成していく。この脳の活動によって、 僕の「見える」という経験が生み出される。~大雑把に言えば、これが 科学的な説明になるだろうか。 しかし、だとしたら、なぜ山の風景は「目の前」にではなくて、遠くに、ずっと向こうに、「あ そこに」はっきり見えるのか。僕が見ているのが山の中の光そのものではなくて、そこから空中を伝 わり、目の中にまでやってきた光の粒子なのだとしたら、なぜ僕にいま「見える」のは、その到来し てきた日の前の粒子ではなくて、身体のずっと向こうの、遠くの、山の中の、まさに「あそこの」光 なのだろうか。考えれば考えるほど不思議になって、僕はただじっと、その光を見つめ続けた。 いま僕の手前の床の間に、花瓶に生けられたスターチスがある。花は、その花が生けられたまさ に「そこ」にあるように見える。僕は花から到来した光の粒子を見ているというより、その花を、 直に見ているように感じる。手の届かない、日で直接触れているわけではないその花が、その場所 森田真生「白紙」ワークシート*読んで考えたことを、話してみよう* ト (1)-7見える」ということの にありありと、はっきりと見える。 光の粒子と網膜の物理的接触というよりも、もっとはるかに親密な関係を、僕は花と結んでいる ように思える。花が「見える」ということは、どこか深いところで花と直に触れ合っていることだと いうふうに思える。花だけでなく、花瓶と、あるいは山と空と、つまりは環境のすべてと、いつの間 にか僕は心を通わせ合っていて、その「通い合う心」が「見える」「聞こえる」「わかる」ということ を、背景で支えているような気がしてくる。 「見える」ということは実際、今の人類にはとてもまだ言葉にできないような、不思議で奇跡的 な事態なのではないか。あまりに不思議で、あまりに大きな謎なので、(かんら)「当たり前」と いうことにされてしまう。 不思議なことを当たり前のこととして、(すなわて) は前に進めないところがある。 (下とんに)「見える」「聞ごえる」機械は作れないとしても、「見える」ことを前提として、そ の能力を拡張する眼鏡や望遠鏡や顕微鏡を作ることならできる。自力で「わかる」機械はなかなか作 れそうにないが、人の「わかる」力を前提として、それを延長することならコンピュータにできる。 そうして人は、最大の謎を、最奥の深秘をひとまず括弧にくくることにして、不思議の先に、広 大な知と実用の世界を構築してきた。いまや 前提の、すべてを支える原初の不思議の、不思議であることすら自覚されない。 「前提」とすることによってしか、人 い その構築された世界はあまりに壮麗で、足もとの

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Biology Senior High

この△とか○とかどうやって考えれば良いですか??

重要実験 カタラーゼのはたらきと条件 カタラーゼは、過酸化水素 (H2O2) を HeO と O2に分解する酵素で, 動植物の細胞の中に含まれ、 生体内につくられた H2O2 を分解する。 (1) 5gの肝臓片を乳鉢ですりつぶし,10mLの蒸留水を加えてろ過したものを酵素液とする。 (2) 酸化マンガン (IV) (二酸化マンガン MnO2)の粉末5gに10mLの蒸留水を加えてよくかくはんし たものを無機触媒液とする。 (3) 細かな石英砂5gに10mLの蒸留水を加えてよくかくはんしたものを対照実験に使用する液と する。 (4)基質として4%の過酸化水素水, PH調整用に5%の水酸化ナトリウム (NaOH) 溶液, 5%の塩 酸(HCI)を準備して, 1mLを加える。 (5)(1)~(4)を下の図のような組み合わせで加えて反応を観察する。 月月月月A月 コD B F G H K 20 過酸化 水素水 H? 02 水 水 塩酸 NaOH 水 水 塩酸 NAOH 水 溶液 溶液 氷で 冷やした 酵素液 加熱した 酵素液 石英砂 +酸化マンガン(IV) MnO2 加熱した MnO2 +酵素液 熱(痛 各試験管の泡の発生量を表にまとめると次のようになる。 試験管 A B C D E F G H I J K 33 O A 泡の量 …泡が出る, △…ほとんど泡が出ない, ×…泡は出ない **ト D + 水 + + *+で 結果と考察一 方法(操作)

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Contemporary writings Senior High

この問題の解き方を教えてください。 答えは3です。 私は、最後のまとめに「二人の目指すところは同一な真の半面である」を読んで4だとおもいました。 なぜ、3なのでしょうか?

基本問題 1 科学者と芸術家の生命とする所は創作である。 他人の芸術の模倣は自分 の芸術でないと同様に, 他人の研究を繰り返すのみでは科学者の研究では ない。勿論両者の取り扱う対象の内容には, それは比較にならぬ程の差別 はあるが、そこに又かなり共有な点がないでもない。 科学者の研究の目的 物は自然現象であってその中に何等かの未知の事実を発見し, 未発の新見 解を見出そうとするのである。 芸術家の使命は多様であろうが,その中に は広い意味における天然の事象に対する見方とその表現の方法において 何等かの新しいものを求めようとするのは疑いもない事である。又科学者 がこのような新しい事実に達着した場合に, その事実の実用的価値には全 然無頓着に,その事実の奥底に徹する迄これを突き止めようとすると同様 に,少なくも純真なる芸術が一つの新しい観察創見に出逢うた場合には その実用的の価値などに顧慮する事なしに, その深刻たる描写表現を試み るであろう。古来多くの科学者がこの為に迫害や愚弄の焦点となったと同 様に,芸術家がその為に悲惨な境界に沈論せぬ迄も,世間の反感を買うた 例は少なくあるまい。 このような科学者と芸術家とが相逢うて肝胆相昭。 すべき機会があったら, 二人は恐らく会心の握手を交すに勝諾しないであ ろう。二人の目差す所は同一な真の半面である。 (寺田寅彦「科学者と芸術家」) 上文の主旨として妥当なものは, 次のうちどれか。 (1)科学者と芸術家は, 相容れぬものである。 (2)科学者と芸術家は, 実用的価値に関心はなく, 自分の世界に埋没する。 (3) 科学者と芸術家の共有点は新しいものを追い求めることにある。 (4)科学者と芸術家の対象とする世界はまったく異なるように見えるが、 究極的には同一のものである。

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