✨ ベストアンサー ✨
鎌倉時代以前(大宝律令)の国司は行政や司法、軍事を統括する地方貴族のことを指しました。
鎌倉時代(御成敗式目)では国司が行政を司り、守護が司法と軍事を担当しており、相互に不干渉だったそうです。
御成敗式目が衰退すると、守護の勢いが強まり行政に文句をつけるようになりましたが、建武の新政以後は
国司の復権が行われ、行政と司法を担当することになりました。一方の守護は軍事のみの担当と成りました。
室町幕府が始まると、国司は名前のみが残り守護が行政、司法、軍事を総括するように成りました。
ここでようやく、貴族の時代が幕を閉じました。
先ほど国司が地方貴族と書きましたが、誤りでした。すみません。
国司は中央(京都)の貴族が地方に派遣されたもので、郡司が地方貴族(豪族)です。
国司と郡司は二つともが治安維持と年貢の徴収を兼任していたようですが、鎌倉時代以降守護が治安維持、地頭が年貢の徴収といった風に役割分担がなされていたそうです。
本当にありがとうございます!!!
すっきり解決できました!!
また教えてください😭🙇🏻
へーーーー時代ごとに役割が変わるんですね!!
宜しければ地頭と郡司の役割も教えてください🙇🏻🙇🏻🙇🏻🙇🏻🙇🏻🙇🏻