✨ ベストアンサー ✨
まず、歴史の勉強の上で「自分なら」とか「なんでなの?」とかあれこれ考えて疑問を持つこと自体、とても素晴らしいと思います。単なる機械的な丸暗記ではなく、ちゃんと考えていることの証拠だからです!
さて、その2つの法が出される前の状況を考えてみましょう。大化の改新で「公地公民」が国の柱となりました。
土地も人民も国のものなのです。
そして「口分田」が6歳以上の男女に与えられました、というか貸し与えられました。そもそも人民はどうやって生きていたのでしょう。スーパーやコンビニもないわけですから食べ物はどうするの?って話ですが、手っ取り早いのは「自分で作って自分で食べる」です。体力があれば狩りとか漁もあるかもしれません。
今もですが、生きるためには米さえあれば、となりますからその米を作れる場所を国が貸してくれる、というのはありがたい話なわけですよ。でも6歳が農業?キツそうですよな。そしてそこで米を作ったら税を納めないとならない。口分田と一口に言っても、広さは決まった通りですが土地の質とか条件にはバラつきもあったようです。
例えば7歳の男の子と6歳の女の子がいればその分、口分田が与えられ、税を納めないとならない、でも7歳6歳の農業はしんどく、実質には親がメインで頑張る、しかし税を納めるのは?振り込みとかない時代ですから、どこに住んでいても奈良まで歩いて「米」を運ばないとならない。
税も(2つの意味で)重いし、もう口分田とかいらないんで逃げます!っていう人が続出したわけです。戸籍を変えるものも。
でも逃げたその先でも生活は待っています。もう口分田はないので耕すしかないんです。
あるいは「耕したからこれが俺の土地だー!」って喜びが労働の意欲に向く人もいたかもしれません。死んだら国に返すのではなく「我が子にこの土地を残してやれる!」という思いは、当時の一般人が「財産を持つ」ことの難しさを考えたら、開墾を頑張れたかも知れませんよね。
返信が遅れて申し訳ございません!
ありがとうございます🙇🏻🙇🏻♂️🙇🏻♀️
分かりやすかったです!
「~よね」が「よな」になってたりして人格がばらばらですが?