日本史
高校生
解決済み

奈良時代にも、神仏習合思想を習ったんですが、平安初期になって、また出てきたのはなぜですか

回答

✨ ベストアンサー ✨

奈良時代にも神仏習合はあった。
しかし、平安初期、密教が国家の祈りと結びついたことで、再び大きく強調された。これは「神を仏の仮の姿」として統合し、国家安泰や地方支配に役立てるためだった🙇

さきち

ありがとうございます🙇🏻🙇🏻‍♂️🙇🏻‍♀️
密教が国家の祈りと結びついたから、そのようになったとは具体的にどういうことでしょうか

🍇こつぶ🐡

「密教が国家の祈りと結びついた」とは
1. 国家安泰・五穀豊穣・疫病退散を祈るために、朝廷が密教の儀式を採用した。
2. その際、日本の神々も「仏の仮の姿」と位置づけられ、仏教と一体化(神仏習合)が進んだ。

つまり、
国を守るための公式な祈りのシステムに
密教+神道が取り込まれた、ということ🙇

さきち

ありがとうございます🙇🏻🙇🏻‍♂️🙇🏻‍♀️

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回答

明治になり、神仏分離令が出されます。ということは、明治までは神仏は同じものと考えられていたということですよね。では、なぜ古来からあった神への祈りと、6世紀に入ってきた仏教が、習合していったのか?そして、その神仏習合の考えがどのように変化していったのかを知るためには、その時代ごとにどうなっていたのかを知る必要があります。8世紀の奈良時代に神仏習合の考えが芽生え、9世紀の平安時代になると神仏習合が深化します。それが今後どうなるのかを追いかけていけば、文化史を深く理解することになるのではないでしょうか。ちなみに、9世紀頃には地方の有力豪族である郡司の力が衰えていきます。地方の神々を祀る役割をしていた郡司が衰えたということは、神々の力も衰えたと考えられました。そこで、人々は神々も仏教の祈りの力によって力を回復させているに違いないと考えます。それを表したのが、僧形八幡神像です。八幡神が僧侶の姿をして修行をしています。古墳時代以来、力を持っていたもと国造である郡司の衰退は、在地の神々の衰退と結びつけられたのです。

さきち

そういうことなんですね!他の質問にも丁寧にお答えくださり、本当にありがとうございます🙇🏻🙇🏻‍♂️🙇🏻‍♀️

喜重郎

私は某大学の史学科出身です。是非とも大学ではどのようなことをテーマに学びたいか、そのような目的も持ってがんばってください!

さきち

私は幼稚園くらいから歴史がとても好きなんですが、源平とか戦国とか幕末とか(特にかなり戦国は詳しい)ですが、武将とか逸話とか戦いとかは、よく知ってるんですが、受験で出るのとは別物なので、また教えてください!特に民俗とか、近代、古代とかは、全然ダメなので、助かります! 既に研究したいテーマは決まっていて、志望大学にも、その分野の先生がいるかとか、そのテーマの研究ができるか、ゼミについてとかフィールドワークとかオープンキャンパスで、全て質問して聞きました!テーマと言っても大枠しか決まってないのですが、頑張ります!あと、古文書をどうしても読めるようになりたいと昔から思っていたので、その夢を大学で叶えたいと思っています!また質問することがあれば教えてください🙇🏻

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