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班田収授法は戸籍に記載された6歳以上の男女に口分田を班給する仕組みでした。それが、浮浪・逃亡などが増加して人が把握できなくなり、戸籍を作成すること自体も負担となって作成されなくなりました。戸籍を作らなくなれば、それに基づいて実施していた班田収授もできません。そして戸籍がなければ課税台帳の計帳も作れませんから税(調・庸)を集めることもできません。そこで政府は人を把握して税を徴収するのをやめ、土地を把握して、土地の生産力に応じた税(官物・臨時雑役)を徴収することにしました。ですから、10世紀以降、受領は土地の把握に必死になります。検田使を派遣して実地を調査して耕地の把握に努めます。それに対して有力農民である「富豪」は中央の院宮王臣家と結んでこれに抵抗します。この有力農民と院宮王臣家の結びつきをたつために、延喜の荘園整理令が出されます。
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