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先生(子)がおっしゃるには、そもそも人というものがする行為(行い)には、見て取れるものがある。(その中で)強い(意志を持つ)者は(他者から)強制することができず、弱い(意志を持つ)者は(状況に流され)必然的にそうしてしまうのである。そして、義(正しいこと)を行おうとせず、(たった)一片の言葉を信義とする(守る)こともしない。
天下の人々は、また言う。(その人が)仁、義、信、廉を求める者であるならば、(その道徳的行為を)止めることはできない。これこそが、天下の人々がまた言う、仁人ではない者、義人ではない者、信人ではない者、廉人ではない者(という評価)である。これは、(道徳的に)欠点がないように自分自身を励まし努力すれば、どうにかそうすることができるのである。力を尽くして(道徳的な境地に)到達する者である。(それは、生まれつきの)仁の行いではない。
(道徳を身につけた者は)朝廷にあっては、すべての役人たち、辺境の地や田舎の人々、教養がなく品のない人々、座るときも寝るときも、忙しい政務の中で、すべてをまとめて取り仕切っている。それでも(政治は)乱れず、羽檄(きゅうな命令書)が飛び交う戦場のような騒がしい地へ身を置いても惑うことはなく、役人が代わるがわる大将の役目をするような、もし...(このような優れた才能は)天から与えられたものであり、生まれつきの性質(天性)であり、努力してどうにかなるものではないのである。