✨ ベストアンサー ✨
社会状況にあっていて、慶派の仏像の表現力がずば抜けていたからです。
鎌倉時代は平安時代と違って武士が政治の中心になっていたので、武士は貴族的で優雅な仏像より力強く迫力のあるものを好んでました。戦乱や不安の多い時代でもあったので、現実的に生きているような仏像を求めていました。
慶派の仏像の特徴として、筋肉や骨格、表情などがはっきりしていて、高度な技術でした。
あと国家的大企業を任されたのが慶派だったので実績を積んで名声と信頼を獲得して仕事を任されるようになったそうです。他の仏師集団が衰退していたのもあります
ちょっと違いますね。
慶派仏師が活躍するのは南都焼き討ちが関係しています。元々南都、即ち奈良の都に拠点を有していた有力寺院等の修繕などをメインに受け持っていたのが彼らです。一般的に日本における彫刻の最高傑作期は天平と鎌倉と言われますが、その理由もそれです。外的な刺激が無くなると彫刻界隈はマンネリ化し、量産型の仏像しか作られなくなるのですが、外的影響、即ち盛唐文化の影響をビンビンに受けて発展した天平期は仏師のインスピレーションも多く受けたのでしょう、非常に出来が良いと言われています。そしてその天平彫刻達を間近で見続けていた連中が慶派仏師なのです。京都で活躍していた仏師達は定朝の寄木造りのように量産品を作り出すだけです。試しに国風期の有名な仏像を教科書で調べてみてください。せいぜい寄木造りの代表作として平等院鳳凰堂阿弥陀如来像が取り上げられているぐらいでしょう。
なので鎌倉時代初期の仏像の特徴としては天平期と同じくとにかく「写実的」です。
東大寺南大門金剛力士像は見るだけでそのパワーに圧倒されますし、
興福寺無著・世親像
六波羅蜜寺空也上人像
などは語るまでもないでしょう。
そうなんですね‼️
ありがとうございます🙇🏻🙇🏻♂️🙇🏻♀️
調べてみます!
ありがとうございます🙇🏻🙇🏻♂️🙇🏻♀️