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じゅぞう
まど
おんたけ
から解放された時に結晶することもある。また木曽の御嶽の山の上に登って行者が大きく礼拝をしている姿を見て、鹿児
島寿蔵氏は「円か」というすぐれた人形のデザインを発見したというように、しかもそれは長塚節の歌を、五〇年来、い
かなる人形にしようかと思って、窮め窮めていた、そういう長い努力の結果、たまたまそれは木曽の御嶽山の山の上で見
行者の礼拝の姿に、崇高な造型が誕生したというようなこともあるのである。
いずれにしても芸の修得ということは、きわめてすぐれた芸の創造ということにつながっていくということにおいて完
結するわけだが、それはいずれもなにものかを頼むとか、なにものかによるとかということではなくて、その人の個人の
ナショナルな、国際的な評価をされうることにもつながっていくものであ
る」とあることから、筆者は日本で広く認められた芸は、おのずと国際的
にも評価されるはずだと考えていることがわかる。
(注4)
H
ウについて。 鹿児島寿蔵については第五段落に言及があるが、これ
は、本文解説 や 設問別解説 問三でも確認したように、芸の創造に
至る過程の一例として挙げられた事例であると考えられる。 鹿児島が最終
的に「『円か』というすぐれた人形のデザインを発見」することができた
のは、「長塚節の歌を、五〇年来、いかなる人形にしようかと思って、窮
め窮めていた、そういう長い努力の結果」、「木曽の御嶽山の山の上で見た
行者の礼拝の姿」をきっかけとすることができたからである。 仮に鹿児島
が長塚の短歌を人形にするという課題を途中で放棄していたら、人形は具
現化しなかったはずである。とすれば、彼が半世紀にわたって自身の課題
を手放さなかったことは、最終的な人形の完成にとって「必然的な要件」
であったことになる。したがって、ウが一つ目の正解である。
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