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現代文 高校生

英語長文ですが国語力なくて何言ってるかわからないので教えて欲しいです 疑問点は書き込んでます

:語 河合塾マナビス 23125/23129-A-03 国公立大英語読解総合 (レベル5) 第3講 復習プリント 前半 312 312 【解答】 問1 調べている薬をあるグループに与え, まったく 同じ条件の他のグループにダミーの薬を与える 方法。 ビタミン剤を与え, 残り半分の何も与えられなかった 人々と比較しても,まだ十分ではない。 問2 全訳下線部(1) 参照 問3 ② the nature of placebos 問4 全訳下線部(3) 参照 問 5 ③ ④ 【選択肢の和訳】 問3 ① プラシーボの必要性 プラシーボの性質 ③ プラシーボが印象的であること ④ プラシーボの威厳 sbulaae 問5 loderm damn i gani ① ビタミン剤を体系的に研究することにより, ビ タミン剤には風邪を予防する力はないということ がわかったので,研究者たちはもはやビタミン剤 を患者には与えていない。 ② かなり多くの人が, プラシーボの唯一の重要な 特質は,それが適切な栄養を与えることであると 信じている。 ③ プラシーボがそれに価する注意を払われてこな かったので,プラシーボを科学的に研究する必要 があると考えている人もいる。 ④ プラシーボのカプセルは,それがあまり大きく ない場合には,極めて強力であるということを示 唆するように, 非常に小さくするべきである。 ⑤ 偽薬は鮮やかな色にして甘くするべきである が,それは偽薬がアスピリンのようなありふれた ものに見えてはいけないからである。 【全訳】 研究者が,たとえばビタミン剤が風邪を予防するか どうか、体系的に調べようというときには,あるグ ループ全員に冬の間中ビタミン剤を与えて, 前年の冬 より風邪を引かなくなったかどうか最後に尋ねても意 味がない。 また、より大きなグループの半分の人々に (1) 人間の想像力はとても豊かなので, 錠剤を摂取し ている人の中には、 自分に対して何かがなされている というまさにその事実によって、 何らかの形で影響を 受けてしまう人がいる。 これではだめで,今では有能 な実験者は,どんな錠剤であれ自分が調べているもの をあるグループに与えるのと同時に、ダミーの錠剤を まったく同じ条件の別のグループにも与えるように教 育されているのだ。 このダミーの錠剤は、通常「プラ シーボ(偽薬)」 と呼ばれている。 最近まで,この「プラシーボ」そのものの特質につ いてはほとんど注意が払われていなかった。 薬理作用 のないものでありさえすれば,それ以外は重要ではな かった。 現在はそうではなくなっている。 ある医学誌 の最近号に, ある寄稿者が, 今では「研究用具」など といういかめしい肩書きをつけられたプラシーボに ついて、詳しい科学的研究を行う必要性を指摘してい た。 American Journal of Medicine では別の寄稿者 が、この件について詳細に踏み込んでいる。 この寄稿 者は,科学目的のために偽物が必要な場合には効果 的な偽物であるべきだと考えている。 つまり、現在で は次のように考えられているようだ。 プラシーボは、 赤色か黄色, あるいは茶色にすべきであり, 毒を連想 させる色である青や緑であってはならない。 味は苦く すべきだが,不快であってはならない。 カプセルや錠 剤には色をつけ、ごく小さくして非常によく効くとい うことを暗示するか, あるいは印象的なほど大きくす べきであって, アスピリンのような日常的なものに見 た目が似ていてはならない。 今では、その身体の持ち主の性格を考慮せずに, (3) ある特定の薬には身体のどこかの器官に対してある特 定の効果があると,科学的な意味において結論づける ことはできないと主張されている。 偽物に特にだまさ れやすい人は, 「普通の」 人と比べて, 自分に実験を している人たちに対する感謝の念がより強く, 看護師 に対してより協力的で,また,より話好きである.と 考えざるをえないのである。 なぜ 7 -1- どゆこと?

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現代文 高校生

この問題なんですが 存在しないことが問題とみなされるようになったという文から必要不可欠的なのがいるのかと思ったのですが なぜ入らないのですか?

TOME NO! 例題 P.109 理由説明 ① 因果関係を説明する 技術哲学の展望 村田純一 設問で「どう れるのが〈理由説明〉でお 傍線部の原因・理由> となる内容を一 から読み取り、それを「~から(のでた め)」という形で答える。この例題のよう に、原因と結果の関係 (因果関係)〉を答 えるパターンである。これが 〈理由説明〉 の基本となる。 現実の状況というのは、多くの要因が絡み合った多様性を示すので、 人工物が用いられる場合に、必ずしも常に一義的な仕方で 使用の仕方が実現するとは限らない。しばしば、道具を設計したデザイナーの意図と反するような仕方で道具が使用されたり、あ るいは、ある状況での道具の使用を介して道具に全く新たな目的が付加されるということも起きる。やや極端な例ではあるが、金 は状況に応じて、本来の目的のほかに、人に危害を加えるためにも、ものを押さえるためにも、あるいは、芸術作品として用い られることもある。どのような人工物も、程度の違いはあれ、このような多次元性をもっているし、しかも、技術の歴史はこの種 の事例で満ちているともいえる。 の上に昔から生きつづけ 例えば、一七世紀から一八世紀にかけてヨーロッパから多数の機械時計が中国に輸入された。それらはおもに交易を求めたヨー ロッパ人が中国の皇帝に献上品として運んできたものである。当時の中国は古来の不定時法を採用していたので、機械時計は実際 の生活に役立つものではなかった。にもかかわらず、多数の時計が持ち込まれたのは、芸術作品、ないし、玩具として、おもに宮 延に関係する人々にとっての鑑賞の対象になっていたからである。この例は、技術的人工物が異なった文化的脈絡のなかで用いら 100 場合には、あらためて「解釈」される必要のあることを示しており、その意味で、異なった文化のあいだで発揮される人工物 に備わる「解釈の柔軟性」を示しているということができる。 制作された最初の目的や機能とは異なった仕方で技術が「解釈」されるようになる可能性は、二〇世紀の技術の場合にも決して 珍しいわけではない。インターネットが典型例の一つである。よく知られているようにインターネット技術のもともとの起源は軍 事的領域にあったが、現在では日常生活の新たなコミュニケーションの形態を作り上げることになった。自動車の技術もこの例に めることができる。ベンジやダイムラーらが自動車を発明する以前に、あるいは、フォードがT型フォードを開発し、自動車が 大量生産されるようになる以前に、馬車より速い乗り物がないことは「問題」ではなかったし、馬車より速い乗り物に対する強い 社会的な需要があったわけでもない。例えば、アメリカでは、自動車は最初は都市部の富裕階級によっておもに娯楽のために用い られる乗り物として登場した。農村部では、自動車は馬車による交通の邪魔になり、家畜に被害をもたらし、道路を破壊するやっ かいものでしかなく、「悪魔の乗り物」 (devil wagon) と呼ばれ、嫌われた。自動車が農村部での日常的使用にも耐えるようなデ ザインに改良され、広く普及されるようになってはじめて、つまり、自動車によって移動することが自明化し、日常的な価値基準 の一つとなってはじめて、一般に自動車が存在しないことが「問題」と見なされるようになったのである。 点で技術の創造性が発揮された例と考えられる。 これらは、既存の目的手段―連関が、技術の展開のなかで変換され、新たな目的手段連関を形成することになったという こうした事例に加えて、技術の歴史のなかには、意図に反した結果がもっぱら「否定的」に解される事例も豊富に見出される。 例えば、E・テナーは「逆襲するテクノロジー』のなかで、オフィスのネットワーク化は紙でコピーを取ることを不要にするだろ うという未来学者の予言に反して、現在のオフィスは紙であふれているという事態、あるいは、ある地域で安価なセキュリティ システムの導入がなされたが、それによって誤作動や誤報が多くなったために、かえって前よりもセキュリティのレヴェルを下げ ることになってしまったといった事例をあげて、「モノが反撃しているように見える」と述べている。 これらの事例は、技術が単なる道具に還元できない「他者性」を持つことを印象深く示している。ただし、ここで示されている 他者性は、広い意味で「創造性」ということのできる特徴である。というのも、これらの事例で示されているのは、技術の展開が デザイナーや製作者の意図に反して実現する過程であり、そしてこの過程はポジティヴに評価されるにせよネガティヴに評価され るにせよ、いずれにせよ、人工物が新たな意味を獲得する過程だと考えることができるからである。 で説明せよ。 傍線部「馬車より速い乗り物に対する強い社会的な需要」がアメリカで生まれたのはどうしてか、本文に即 90

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現代文 高校生

この史学理論 遅塚ただみさんの文なのですが内容が難しくて理解できません。分かりやすく説明して欲しいです

ト的な 本文全 記号で答え ゆるできごとを ◆読み比べ 史学相 ev. 考えの の基礎 しょうぞう 「野家氏の見解の哲学的基礎は、大森荘蔵氏の「過去とは 「想起なり」という有名な命題(これを過去想起説と言う)でい ある。大森氏によれば、過去は知覚できないのだから、過去 は想起されるだけなのだと言う。この説が歴史学に当てはま るならば、野家氏の言うように、過去の事実は想起され物語っ られるだけだという、物語り論的歴史理解が成り立つであろ う。しかしながら、われわれが事実の種類を弁別したときに すでに明らかにしたように、構造史上の事実をはじめとする 「揺らがない」事実は、この過去想起説に当てはまらないの である。 歴史の見 一見すると、大森=野家説の言うように、われわれは過去 を直接に知覚することはできないように見える。しかしなが 野家 二七一ページ参照。 2 大森藏 一九二一年~一九九七年。哲学者。 3 構造史 歴史を物語りによってではなく表れてくる構造によって明 らかにする記述方法。 こうゆう 論理的な文章読み比べ◆ 史学概論 3 かたられること ら、例えば、一九二〇年十月一日現在の日本の第一回国勢調 ?査の結果だの、一九四九年一月二十三日の日本の総選挙にお ける各党の候補者の得票数だの、といった過去のデータ( 実)は、その時点で知覚された事実を調査者が記録したもの であり、そこには、若干の誤差があるとしても、調査者(史 料記述者)の想起だの解釈だの再構成だのが介入する余地は ない。換言すれば、これらのデータは、後になって想起され たものではなくて、過去のある時点で直接に知覚された事実 であり、その事実が、そのまま、現在のわれわれに提供され ているのである。そして、このことは、時代を遡って、十六 世紀の市場価格表だの、十七世紀の小教区帳簿だの、十八世 紀の課税台帳だの小作契約書だの遺産目録だのに記載された 4 国勢調査 政府が五年に一度実施する、人口や世帯の実態調査。 5 データ 四三ページ注3参照。 6 小教区 キリスト教で、布教などのために設けられた区域。 7小作地主から土地を借りて地代を支払い、耕作する仕組み。 Ind alini 273 10

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現代文 高校生

作者の問題提起(今話している日本語がなくなったらどうなるかという問題を考えてみたことがあるでしょうか。)に対応する答えとなる一文はどこですか? また、筆者の主張・意見を簡潔に教えて欲しいです!お願いします🙏

を記 あなたは、今話している日本語がなくなったらどうなるかという問題を考えてみ たことがあるでしょうか? たとえば、英語だけで用をたさなくてはいけない状態 になったとしたら? むろん、権力で強要されれば、長い時間をかけて、英語だけ を話すようになるでしょう。でも、英語という糸で織り成される文化は、日本語 という糸でつむぎ出されていた織物とは全く異なっているのです。 たとえば、日本語には擬音語・擬態語が豊かに存在します。けれども、英語に はあまりありません。すると、こんなことが起こります。 帽子さんは、そんな三好さんをジロリと流し見た。(源氏鶏太『御苦労さん』) これは、日本語の文です。 これを英語で言おうとすると、「ジロリ」という擬態 語がうまく表現できないのです。ある辞典では、この箇所をこう翻訳しています。 Hatoko cast a sharp side-long glance at him. 「鳩子は彼に鋭い横目を向けた。」といった意味の英語になっています。これでは 「ジロリ」の持っている、眼球を左から右へあるいは右から左へ移動する動きが、 失われてしまいます。 「ジロリ」は、単に「鋭い横目」という抽象的な言葉では表 せないような、具体的で感覚的な意味を持つ言葉です。 つまり、日本語で織り成 されていた織物のもっていた独特の風合いがなくなってしまったのです。母国語を 失うということは、物の考え方、感じ方を失うということ。大げさに言えば、具体 的で感覚的な日本文化が消えているのです。もちろんそれでもいいとおっしゃる方 もいらっしゃるかもしれません。 そういう方は、是非とも次の問題も考えてみてください。 世界中の言語がすべ 英語だけに統一されてしまったとします。すると、どの地域からも英語という糸 で織り成される織物しか出来てきません。それぞれの地域のもっていた独特の風合 いが失われ、どの地域に行っても、どこに住んでも、同じ織物しかないのです。と いうことは、異なる織物同士の間で競争したり、刺激しあったりすることがないと いうことです。人は、努力をしなくなります。人類の文化そのものが痩せて廃れて いきます。一元化の恐ろしいところです。 人類の文化が発展するのは、さまざまな素材があり、その素材によって織り成さ れる文化が違うからこそなのです。 違う文化同士が接触し、互いに刺激しあい、総 体として人間の文化が発展するのです。 やまぐちなか み (山口仲美『日本語の歴史』より)

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

た。 問4 傍線部 (3) 「このことを、なぜわれわれは素直に認めることができないのだろうか」とあるが、この問いに対する筆者 考えとして最も適切なものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。解答番号は2 ① 他者に対して心を開くことは危険を伴うことだから。 ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑤ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 upt 解答番号は、第二間で 【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~問10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 の偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイブそのものも、すでに複雑で錯 した経路と水脈をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係によるAなものではなく、あ ある種の根源的な喪失と離脱のなかから再発見・再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、A な帰属関係所有関係を前提としない、 旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは間言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を な手掛かり とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 へと移住した。 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、それはふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリアでに傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことばへと転用 された「グラフィティ」 (Graffitti) を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の商店の壁、シャッターを目呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 書きが文字だけであれば、それはふつう 「ビシャソン」である。 独特の字体に、符牒のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字がや虫のかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描くだけのビシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に踊っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集「夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。 彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二プロックほど離れた路地の壁に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐにテッドロックもおそらく気づいていない〉 この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024AG-B-1 (2024AG-B-2) ② 介護する 不十分さが解消されるため、その関係を豊かにすることに注力 介護が人間に向けられたものとなり、その人間の豊かさに寄与するものとなるためには、人間の価値を能力から切り離 で捉えた上で、介護する者と介護される者の間に心が開かれた関係が形成される必要がある。 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい う関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に 行く春や鳥啼き魚の目は 巨) primavera não nos deixe passaros choram wwwwww (注) ばしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの を想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、 地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか 経験した無数の声と文字による橋渡しの過程に携帯用の筆入れと墨壺である矢立」からとりだされた筆記用具によって 俳聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このピシャソンとなった芭蕉の句において、 過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 プ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの それすらもはや判然とはしない。ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の俳諧が、ポルトガル語の Haikai へと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の連関の統 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの詩句の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた目録のなかに書き込んでいった。 「一の鹿」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反芻することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。 人類学という実践 そのものが、異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 をふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 夢の残滓を「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識の刺によってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。 ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、 ことばと文学がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと 刺を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、流謫の「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、 ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの句が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 lágrimas no olho do peixe (28) (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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現代文 高校生

画像が横ですみません ウではない理由を教えてください (ウだと思った根拠:相手の意見により客観的になるため)

10 論理 (学問) 読書力 さいとう たかし 齋藤孝 . I テ 経験を積み重ねる読書のしかたとは 具体例と筆者の意見を選別しよう 攻略のプロセス1・2を通して、《効果的な読書のしかた》を《具体例と意見を選別しながら読み取ろう。 (注) 読書を必要ないとする意見の根拠として、読書をするよりも体験することが大事だという論がある。こ れは、根拠のない論だ。体験することは、読書することとまったく矛盾しない。 本を読む習慣をもってい る人間が多くの体験をすることは、まったく難しくはない。むしろいろいろな体験をする動機づけを読書 から得ることがある。たとえば、藤原新也のアジアホウロウの本を読んで、アジアを旅したくなる若者が いる。本に誘われて旅をするというのはよくあることだ。あるいはコウコガクの本を読み、実際に遺跡掘 りの手伝いに行く者もある。 読書がきっかけとなって体験する世界は広がってくる。 それ以上に重要なことは、読書を通じて、自分の体験の意味が確認されるということだ。本を読んでい 「自分と同じ考えの人がここにもいた」という気持ちを味わうことは多い。まったく生まれも育ちも違う のに、同じ考えをもっている人に出会うと、自分の考えが肯定される気がする。自分ではぼんやりとしか わからなかった自分の体験の意味が、読書によってはっきりとすることがある。 「あれはこういう意味だっ10 (注2)ふ たのか」と腑に落ちることが、私は読書を通じてたくさんあった。 ああ刀す

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現代文 高校生

問9の解説お願いします🙏💦

20 ねばならない。 また、こ (解答番号は、第二間で【古文】 を選択した場合は1~現代文を選択した場合は1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、1~問1)に答えよ。 少女が涙に濡れた。差し出し、言う。「ピッ」 それを見た少年が、え、雨なの、と空をアオぐ保証など、言語にはどこに ちない。少年が朝鮮を知らなければ何だって? 何て言ったの? どういう意味なの? と、いきなりことばそのもの が前面に立ち現れる ことになる。 www. ロサンゼルスでも、アルフ・アタでもどこでもよい。 英語とスペイン語でも、北京語 広東語でもよい。 秋田空港でタク シーに乗った高知からの運転士との会話でもよい。複数の言語が出会う言語場複数の言語が用いられている場では、こう したことは日常である。 「おそらくこういう意味だろう」というような意味の曖昧な実現の仕方も、まさに日常の出来事である。 ホテルのフロントで 交わされる会話に耳を傾けてみよう。そこがホテルのフロントであるという言語場の条件に支えられて、「おそらくこういう 意味だろう」解ってくれたようだ」といった仕方で、意味がかろうじて立ち現れている、そんなことは、今もおそらく二四時間、 世界中あちこちのホテルのフロントで起こっている。あちこちの場で起こっている。 ことばができあいの意味を有していて、 それをキャッチボールのようにやりとりするといった図式は、ホテルのフロントでも、国境の検問所でも、やはりBに過 この意味な実現というありようを見てゆくと、意味の鮮明な実現と意味の曖昧な実現の境界もまた、しばしばゆ やかなものであることがわかるであろう。意味の実現を考えるにあたって、この点はまた重要である。 「ことば常に多義的である」といった次元のことを述べているのではない。「ことばが常に多義的である」と それ自体として大きくってはいないものの、ことばが意味となる機制の結果を語っているに過ぎない。 ことばは 意味となったりならなかったりする、そしてそのなったり、ならなかったりという境界自体も、また原理的に固定し難いもの だという意味の実現の原理的なありようをここでは問題にしているのである。「多義性」とは、ことばが意味を持つものでは 意味なものであることの結果についての書学的なアプローチによる名づけである。「両義性」 や 「曖昧性」もま たにする。ついでに言えば、「それはまあ、なんて言うか、ちょっとあれですが」とか「これこれっていった感 ことばにする方式、意識的に表現を明瞭にする曖昧化といったことが、表現上の選択肢となり得ることも、 この度にある。 ことばは意味を持つ」と考えた。このことは言すると、ことばを「意味を持つ/持たない」という二項 対立の中に位置づけようとしていることに他ならない。実際の甘酒場において意味が立ち現れる、立ち現れないの際にあること レクがありま は、いくらでもある。そうした意味の「持つ/持たない」の二分法で切り分けようとすること自体が、生理の所行と言わ れがされたことば)であれ書かれたことばであれ、外形を有している。形が在る。形を有すること ばか何らかの意味を持つと見たくなるのは、素朴な意味論のように見えるけれども、実はソシュール言語学を決定的な淵源とす 現代である。 ことばがじないのは、青森方言や鹿児島方言のごとく、そもそもコードが異なるからだとか、意味を持つことばを 聞き手が知らないからだとか、あるいは するからだと考えた。こうした考えは全て、ことばは通じるものだ」という テーゼとして出発している。そうした前提に立って、 伝達の失敗とか意思ソツウがうまくゆかな いといったこと、じようとしてきた。あるいは「文字通りの意味」がまずあり、それが実際に用いられる段になると、「言 があると考えてきた。書かれたことばには「行間を読む」などという比喩もあった。「コミュ ニケーション」にあっては、ことばを「正しく」「正確に」用いることがしばしば語られた。さらにはことばが「文化」にまで める てきたのである。 あらかじ 拡大され、「異文化」というコードを知ること、「異文化理解」などといった考え方が喧伝されてきた。これら多くの考え方の中 で、大前提となる、同一言語コードの上で、即ち正しいコードの共有の上で、ことばの十全たる受け渡し、即ちことばの正しい キャッチボールさえ実現できれば、「ことばは通じるものだ」という暗黙のテーゼ自体は揺るぎないものとして、保持され続け かも戻すた形がと ことばを「意味を持つ/持たない」という二項対立の中に措定しようとする限り、「ことばは通じるものだ」という暗黙のテー ゼは動きようがない。ことばが意味を「持っている」なら、何かしらの外的な阻害条件が加わらない限り、 ことばは投げ与えら れたので、その意味は話し手から聞き手に「伝達」されることになってしまうからである。 言語学的な立場から情報通信理論の図式を提出している典型として、R・ヤコブソン『言語とメタ言語」を挙げることができ る。 「送り手」が「受け手」に対して「メッセージ」を送る。この「メッセージ」ということばも、なかなかに危ないことばで ある。同書では「場面」が強調されている。 送り手と受け手に完全に、もしくは部分的に共通した「コード」と、送り手と受け 手の物理的経路と心理的なつながりである「接触」が欠かせないとして、ヤコブソンはこうした六つの因子を挙げる。場面を強 調している点は首できるものの、送り手が受け手にメッセージをあるコードに従って送るといった考え方は、いかにも機械的、 図式的で、素朴な発想である。こうした機械的 図式的という非現実性は、ヤコブソンの論の隅々に通底する二項対立論がもた らすものである。もっと言えば、ソシュール以来の言語学、記号学、 構造主義が、共通して胚していた二項対立論の、謂わば 負の表れである。負の表れと言ったのは、二項対立論は、二〇世紀思想とまではゆかずとも、少なくとも二〇世紀言語学にあっ ては、長足の発展を基礎づけた、決定的な方法論の一つだったからであり、負の結果と同時に巨大な正の成果も招来してきたか らである。 ジュリア・クリステヴァのような言説の中にも、送り手が「受け手=解読者」にメッセージを送るという、こうした図式が入 り込んでいる。 「伝達される意味」などということばに頼れているように、送られる「タッセージ」はそこでは事実上、意味を 持っていると考えられている。 クリステヴァが「受け手=解読者は、聞こえることを言える範囲でのみ解読する」と言うとき、 「送り手」における意味と、「受け手」における意味という、少なくとも二種の意味があり得ることを掘り下げる、一歩手前まで 来ているのにも拘わらず、どうしても意味を持った「メッセージ」を伝達するという観念から、抜け出ることができないでいる。 「送り手」がある意味をメッセージとして込める、その「メッセージ」を受け手が自ら「言える範囲でのみ」 解読するというク リステヴァの図式においては、やはり「ことばは意味を持っている」 という前提が揺るがない。J・J・カッツ「言語と哲学」 にも似たような考えが見える。 実のところ、送られるのは、一定の意味を持った イッセージなどではなく、一度は音声とい う形で意味から自由になったことばなのである。 ヤコブソンなどのこうしたコード論に立って、意味が実現しないと言っても、それは異なったコード間での出来事ではないか、 エンコード (encode) したのと同じ code でデコード (decode) していないのだから、と反論するのは、見苦しい言い訳に過ぎ ない。その言語観は、まるで数理的な体系でもあるかのような、コードなるものを幻想する以前に、コードなど成立しない言語 場を予めはっきりと理論的に位置づけ得ていただろうか? あるいは一瞬でも考えただろうか? 繰り返すが、 ことばが意 味となったりならなかったりする、あるいはかろうじて意味となる、それは私たちにとって日常であり、世界にとって自然で ある。言語にとっては存在のありかたそのものなのである。そうした事態がその言語観の中に鮮明に位置をシめていないのであ れば、言語の実現のリアリティの大きな前提が、その言語観においては予め切り捨てられている、ないしは隠蔽されていること になる。「ことばが通じる」という事態よりも「通じたり通じなかったりする」ことが先に、あるいは、より深いところにある がゆえに、その深いところにある前提を除外した時点で、その言語観は少なくとももう今日の理論としては失格である。 言語学 としてもヒソウであり、言語教育にあっては、余計に罪深い。ことばが通じない悲しみを背負わぬ言語教育など、信じられるだ ろうか? 百歩譲って、コード論者の言い分を一旦、受け入れてみてもよい。そうしたコード論を理論的に成立させるためには、少なく とも次の二つの本質的な部分を解決せねばならない。 第一に、異なった言語の間だけではなく、実はいわゆる同じ言語の話し手の間でも、つまり同じコードの間でも、ことばが意 24一般入試A問題

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現代文 高校生

論理国語「擬似群衆の時代」に関する質問です。 文中の表現でわからない部分があるので、説明して頂きたいです。 「ひと頃透明性の高い建築」 「建築そのものを消し去り、流動する映像体としての建築物として存在する」 「ピクチャープラネット」 どなたか説明をお願いいたします...!!!

204 ■擬似群衆の時代 ① 街角で見かける大型スクリーン、いわゆる街頭ビジョンが新宿駅東口に現れたのは、 一九八〇年代の初めだった。ビルの壁面に映し出される映像は、当初白熱電球によるもの だったが、それでも東口駅前に群衆が絶えなかったのは、万博などの催し以外で本格的に 設置された最初の例のひとつだったからだろう。巨大白黒テレビという趣のスクリーンを、 すぐにアートとして取り入れたのがビデオアーティストのビル・ヴィオラだったことはよ く知られている。 4 それから三十年近く経過した現在、私たちの都市にはさらに大型のスクリーンが氾濫す ることになった。例えばマンハッタンのタイムズスクエア周辺のビルは、その壁面のほと んどがスクリーンと化している。そこではケーブルテレビ局が建物全体を覆う曲面スク リーンに四六時中ニュースを流しており、広場の反対側では同じように広告が流されてい みなと ちひろ 港千尋 5 10 参照 と。 tan 現代社会を読み解くため に6→400ページ 新宿駅東口 東京都新宿 区のターミナル駅の東側 出口。 2万博 万国博覧会のこ 3 ビル・ヴィオラ Bill Viola 一九五一年~。ニュー ヨークの生まれ。 4マンハッタン Manhat- アメリカ合衆国、 ニューヨーク市の中心を なす区の一つ。 これだけの大きさになると建物に画面が取り付けられているというより、画面の一部 が建物になっていると言ったほうが近いかもしれない。 こんにち 建築物が映像装置と一体化する現状は、おそらく今日の建築の方向性と矛盾するもので はないだろう。設計段階ですでにコンピューター・グラフィックスとして映像化される建 築は、紙に描かれていた時代とは大きく異なる様相をしている。ひと頃透明性の高い建築 が流行したのもつかの間、複雑な構造計算が可能な高速演算装置のおかげで、新しい建築 はますます映像のような自由度をもち、私たちを驚かせる。 そこでは二次元と三次元が相 互に浸透し合い、ある場合には建物そのものを消し去り、流動する映像体としての構築物 擬似群衆の時代 20 タイムズスクエアの夜景 5 5高速演算装置 コンピューターのこと。 問① ここでいう「二次元」 「三次元」とはそれぞれ 何か。

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