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古文 高校生

源氏物語です 4行目で「大殿籠りぬ」とあって光源氏は寝たことがわかるので、6行目の「今は、さは大殿籠るまじきぞよ」は光源氏の言葉ではないと思ったのですが、解説を読むと光源氏の言った言葉らしく、納得できません😢 どこで光源氏の言葉だと判断すればよいのでしょうか?

全文解釈 係助四[] 四 [未] 打消[体] 断定 [巳]接助 副助 係助ク [] 過去[終] 四[用] ぬ対なれば、御帳などもなかりけり。惟光召して、御 <補> <原因> こなたは住み たまは こちらは(Aが)(普段は)お住みになっていない建物であるので、御帳などもなかった。(Aは)惟光をお呼びになって、 下二[用] 《強意》 副助 使役[用] 四[終] 格助 四[用 四[用] させたまふ。御几帳の帷子引き下ろし、 帳、御屏風など、 あたり あたり したて あちこちの装いを整えさせなさる。 御帳、御屏風などで、 四 [体] 副助 副助 《補》 《連体》 断定[] 接助 ラ変[巳] 接助 洛功 御几帳の帷子を引き下ろし、 格助 四 [用] 格助 御座など ただひきつくろふばかりにてあれば、東の対に御宿直物 召し <原因> 敷物などを単に身なりを整えただけになっているので、日 四[用] 四[用] 完了[終]B (Aは)東の対にご寝具を取りに サ変 [体] 係助 ク[用] ナリ [月] 断定[未] 格助四[未] 遣はして大殿籠り O 若君はむくつけ、「いかにすることならむ」と震はれ 《ウ音便》 自発[用] 遣わしておやすみになった。 接助 四[巳] 推量[体] 若君 (=紫の上)は不気味に思って、いったい何をするのだろうと震えられ 打消[用] 下二[用] 接助係助副 四 [用] 四 [未] 洛助 格助下二[未] 格助 たまへど、 さすがに声 たててもえ泣き たまはず、「少納言がもとに寝む」と 《補》 《逆接> 《補》 《連体》 なるが、 四[体] そうはいっても声を上げてお泣きにもなれず、 [終] 係助 保助 1 四 [体] [禁止 [体] 意志 [終] (Bは)「(乳母の)少納言のところに寝たい」と 係 間下二[用] 下二[用] のたまふ 声いと若し。「今は、さは 四[已] 大殿籠るまじきぞよ」と教へきこえたまへ <補》 おっしゃる声はたいそう幼い。(Aが)「今となっては、そのようにはお眠りになってはいけませんよ」と教え申し上げなさる 副 シク用 四 [用] 四 [用] 四[已] 係助四[未] 可能[未]打消[用] 助 存続[終] <原因> <補> ので、(Bは)たいそうさびしくなって、泣き臥していらっしゃる。 下二[未] 打消[未] 上二[用]上一[用] いとわびしくて泣き臥したまへ 母はうちの眠されず、 乳母は心配で)少しも横になることができず、どう おぼえず起き たり。 存続 [終] してよいかわからず起きていた。

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古文 高校生

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あぶつあずまくだ 第4問 次の文章は、「阿仏東下り」という物語の一節である。阿仏は、亡き夫が遺した荘園を巡る訴訟のため、都に息子たち を残して鎌倉に下ることにした。本文は、富士山の麓あたりまで旅を続けて来た阿仏が体調を崩し、宿を借りたところから始ま 4の番号を付してある。(配点 45 ) る。これを読んで、後の問い(問1~4)に答えよ。 なお、設問の都合で本文の段落に ここち 1 これより風邪の心地とて、いたはりへるほどに、力なく宿を求めて、疲れをしばらくいたはり侍りけり (注1) あるじ 主言ひけるは、 (注2) 。 「やむごとなき御身として、折ふし三冬の半ばに、はるばるの御歩行なれば、疲れにこそおはしますらめ」と、十日ばかり いたはりりて、「これよりも鎌倉へは、何方へか御こころざしあるらむ。送り奉らむ」と聞こゆるほどに、こよなくうれしく (注3) こし 「比企谷といふ所に親しき人のありければ、この所へ送りてむ」 とあるほどに、主、輿を用意して乗せ奉り、ほどなく鎌 倉にては、比企の谷といふ所にぞ届け侍りけり。縁の人なりければ、はるばる下り給へるこころざしを、「いかばかり」とあは れみて、よくよくいたはり参らせけるほどに、旅の疲れなれば、ほどなくもとの心地し給ひけり。 (注4) くじ 2 さて、ここにしばらくおはして、鎌倉の公事ども聞き給ふに、まことに世の政事つかさどり給ふとて、天が下の人々、高 (注6) miin (注5) もしも集まりて、門の門に市をなせり。ここに執政の縁につきて、よきったよりありければ、ひそかにことの様を 言ひ入れければ、よにあはれにとぶらひて、「気色をうかがひて沙汰にあづかり給へ」と言ふも頼もしく、力づきてぞ見給ひ (注7) にける。 dくないん はつこのきば 3 さるに心許して 光陰送り給へるほどに、その年もはやうち暮れて、あらたまの春にもなりゆけば、東風吹く風もやはら (注8) かけひ つらら かに、のどけき空に鶯の、うら若き初声を軒端の梅におとづれて、枝をつたふもとやさし。懸樋の氷柱解けぬれば、ゆ 水の音ものどくて、ぶもやすき心地せり。 人ごころ懸樋の水にあるならば世はすぐさまにことや通らむ 4 かかるほどに、君の北の方、聞こし召して、「あなあはれや。子を思ふ道には身の苦しびをも顧みず、はるばると東の奥に (注10) しうしや (主) 下り給ふことのはかなさよ。 このみなし子の父は、世に名を留めし和歌の秀者にて、帝の御宝と聞こえし。 かかる人のあとな れば、いかでか遺跡を絶えし果てむとは思し捨つべき。かひがひしくも、足弱の身として東の旅におもむき給ふことこそ 便にはおぼゆれ」とて、さまざまの物ども贈らせ給ひて、つねにとぶらはせ給ふぞありがたき。 (注) 1主宿の主人。 7 2 三冬の半ば旧暦の十一月。 3 比企の谷 鎌倉の地名。 鎌倉の公事ども鎌倉幕府の訴訟に関すること。 5 権門の門 鎌倉幕府の有力な役人の家の門前。 6 執政の縁につきて鎌倉幕府の権力者の縁者に関して。 沙汰ここでは、裁判の意。ニ 8懸 水を引くために竹や木を掛け渡して作った。 9 君鎌倉幕府の将軍。 10 このみなし子の父 「みなし子」は、 ここでは、父親を失った子の意で、阿仏の産んだ息子たちを指す。 「父」は、亡き夫の藤原為 せんじゃ 11 遺跡 ここでは、歌道の家の伝統の意。 家のこと。 為家の父定家は「新古今和歌集」の撰者、祖父俊成は『千載和歌集』の撰者で、為家自身も勅撰和歌集の撰者となっていた。

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