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古文 高校生

棒線部イの設問はなぜそのような心地がしたのか40字以内で説明せよという問題で、解答は直前の内容の雨の中来て話し合いをしてくれたからという内容でした。ですがそれではふるさとびとのような心地にはならないと思います。なぜこのような回答になるのですか。私は主語の羅列の部分から伊勢神... 続きを読む

待 つ さんぐう しつら そうせき くわな 三次の文章は、室町時代の連歌師宗碩が京都から伊勢神宮を経て桑名(現在の三重県北部)に至る旅の道中を記した紀行文 「佐 みなと 野のわたり」の一節で、作者が大湊(現在の三重県伊勢市の一部)で船を出すために天候の回復を待っているところである。 読んで設問に答えよ。 ぐうじ かんぬし たる 二日ばかりありて、宮司大中臣基長、外宮第十神主常信、易憚禅門、二郎大夫光定、これかれ引き具して、樽などやうの物お あまま すべ ふるさとびと のおの携へて、雨間も見えぬ道の空、濡れ濡れ立ち寄られ侍り。さらさら故郷人の心地して、うち語りつつ侍るに、「いま一度 参宮申し侍りかし。さらば、ここかしこ残り多き会ども興行すべき」 よしあれど、今さらたち帰り参らんも、神慮さへ恥づか 口ふること しき心地して、「ただここながら、心しづかに」と申しとどめて、古言の本末など言ひ交はしつつ暮らし侍るに、雨いよいよ雲 間なければ、心細さもいやまさりゆくに、主の、あやにくに「発句一つ」とあれば、かつは思ひ立つ道の手向けにもと、 みなと 月や舟出だす夜さそふ湊風 ひと かやうに書き付け侍りしを、「さらば、これにて一折」など言ひて、百韻の連歌あり。 11. よこぢだち たうしよく 翌日は、おのおの立ち帰られしかば、名残恋しくながめ侍る折、内宮第四神主氏秀、横地館の当職うち連れて、雨もしとど にそぽちておはしたり。またこの人々の心ざしのほどなど言ひ言ひ、暮れかかるほどにひき別れぬ。さて、夜更くるまで物語な どしつつ、うち臥しぬる夢に老師宗祇存生の心地して会席に臨めるほどに侍りしが、その席、まことに玉を敷きたるやうに磨 き設ひたるに、発句・第三まで出で来ぬるやうに覚えて、四句目やらん、六句目やらん、この度奥州より上洛の人侍りし、その 人など申されしかの句に、 ちとせ もすそ 松は千歳の御裳濯の影 ホ たび と侍りし、「面に名所はいかが」など申すとおぼえて夢覚めぬ。 なほ久しく待つべきにやと思ひながら、かつは頼もしき心地し 侍りし。 おひて 神の助けはまことにあらたなることにて、その明け方より雲の気色かつがつ直りて、追手待ち侍るほどに、坂中務丞氏安、足 713 Jm wym 415m ひとたび -13-

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歴史 中学生

答え教えてください!! ノートに書いてなくてなんとなく授業で言っていたような気がした内容は、院政をしていた後鳥羽上皇は先例に囚われない自由な政治で不安に思う人が多かったからっていうのです

(3)[ポスター]の下線部aの乱の際、 後鳥羽上皇が出した命令が [資料2] である。 それに対 もし、[資料3] は、 北条政子が御家人によびかけた言葉である。 [資料 2] [資料 3] を参考 に、なぜ下線部bのように、 後鳥羽上皇に味方する武士が少なかったのか、 その理由を説 明しなさい。 ] [資料2] 後鳥羽上皇の北条義時追討の命令 [資料3] 北条政子の言葉 (1221 (承久3)年5月19日) かんとう ちあんじ めいもく 近ごろ, 北条義時は関東の治安維持という名目 みな しょうぐん よく聞きなさい。 これが最後の言葉である。 で、天下の政治をみだしている。 将軍はいるがま なによりともこう ちょうてい てき たお ぱく おさな ねんれい ほうじょうまさこ が朝廷の敵を倒し、幕府を開いてから, だ幼い年齢だ。義時は、将軍北条政子の命令 おん しょう だといって, ほしいままに政治や訴訟の裁きを全 国各地に対して行っている。 まるで朝廷が定めた きまりを忘れてしまっているようだ。 これはまさ ちょうてい 0 官位や土地など,その御恩は山よりも高く海よりも いよ むく。 ・・・名誉を失いたくない者は,敵を討ち幕府を守りな さい。 この御恩に報いる心が浅くてよいはずがない。 ごきしちどう むほん しく謀反であろう。 早々に五畿七道の諸国に命令 しゅご じとう して義時をうて。 また諸国の守護・地頭は,裁き かまくら を受けたいことがあるなら, 鎌倉ではなく朝廷へ (『小松氏所蔵文書」 要約) まいるようにせよ。 (吾妻鏡」より、一部要約》

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