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奥の細道の問題です 問5はなんと書くのが1番目正しいですか🤔 また、「心が乱れるほど旅に出たい」という解答は適切でしょうか‥? よろしくお願いします!

問五 次の古文を読んで、あとの問いに答えなさい。 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。 舟の 上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅に して旅をすみかとす。 古人も多く旅に死せるあり。 予もいづれの 年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、 海浜に ②さすらべて、去年の秋、 江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひて、 やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えむと、③そぞろ 神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取るもの 手につかず、 股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、 三里に灸 すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲 りて、杉風⑤が別に移るに、 草の戸も住み替はる代ぞ離の家 面八句を庵の柱に懸け置く。 問一 この文章の作者を漢字で書きなさい。 問二 二重線部を現代仮名遣いに改め、 ひらがなで書きなさい。 問傍線部の意味を二字で書きなさい。 問四部の主語を一文節で書き抜きなさい。 きなさい。 「旅」と 部から作者のどのような気持ちがわかるか。 いう語を使い、解答欄に続く形で、 十字以上十五字以内で書

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英語 高校生

赤い下線のところがどういう構造になっているか分からないです、教えてくださいm(_ _)m

moving from " (1) 点) There are historians and others who would like to make a neat division between "historical facts" and "values." The trouble is that values even enter into deciding what count as facts-there is a big leap involved in 'raw data" to a judgement of fact. More important, one finds that the more complex and multi-levelled the history is, and the more important the issues it raises for today, the less it is possible to sustain a fact-value division. But this by no means implies that there has simply to be a conflict of prejudices and biases, as the data are manipulated to suit one worldview or another. What it does mean is that the self of the historian is an important factor. The historian is shaped by experiences, contexts, norms, values, and beliefs. When dealing with history, especially the sort of history that is of most significance in philosophy, that shaping is bound to be relevant. As far as possible it needs to be articulated and open to discussion. The best historians are well aware of this. They are alert to many dimensions of bias and to the endless (and therefore endlessly discussable) significance of their own horizons and presuppositions. A great deal can of course be learned from those who do not share our presuppositions. Our capacity to make wise, well-supported judgements in matters of historical fact and significance can only be formed over years of discussion with others, many of whom have very different horizons from our own. It is possible to I have a 12-year-old chess champion or mathematical or musical genius, but it is unimaginable that the world's greatest expert on Socrates could be that age. The difficulty is not just one of the time to assimilate information; it is (2)

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漢文 高校生

漢文について。水色マーカーの部分は「已然形+ば」なので「〜ではないので」という訳じゃないんですか? どなたか教えてください。

大意 けんそう いさ 憲宗が仏教を信奉することを憂えた韓愈は、諌める文章の中で仏教を崇拝した ようせい 皇帝たちが夭逝したと指摘して憲宗の怒りを買ったが、周囲のとりなしで死罪 は免れて左遷された。 憲宗は後に中央に戻そうとしたが、皇甫縛に妨害された。 こうほはく 書き下し文・現代語訳 けんそう ししゃ ほうしゃう ぶつこつ きんちゅう 憲宗、 使者をして鳳翔に往きて仏骨を迎へしめ、禁中に入るるこ 憲宗(皇帝)は、使者を都の西の方の)鳳翔まで遣わして仏骨を迎えさせ、宮中に三日間(仏骨を) さんじつ すなは ぶつし おく わうこうししょ 王公士庶、 ほんそう ゆき と三日、乃ち仏祠に送る。 入れ、そうしてそれをあちこちの)仏寺に送った。皇帝・諸侯・役人・人民に至るまで)が、 ほばい 奔走して 膜唄し、 とうたふ みち けい 騰して路に係す。 駆けずりまわって、手を合わせて仏の賛歌を唱え、踊りまわって道に行列をなす(までになった)。 これ にく 愈聞きて之を悪み、 韓愈はこれ〈=皇帝が仏骨を宮中に入れ、国中が仏の信奉に熱狂していること〉を聞いて憎み、そ すなは じゃうへう だ ねが 乃ち上表して、 きよくかん 極諫す。 てい いか 帝大いに怒り、 こで意見文<=「仏骨を論ずる表」〉を皇帝に提出して、激しく諫めた。 (憲宗) 皇帝はひどく腹を もつ さいしやう しめ まさ あ 持して宰相に示し、 将に抵つるに死を以てせん (韓愈を死刑に当たるものとして処罰しよう げん けつご 立てて、韓愈の意見文を持って宰相に示し、 はいど さいぐん い とす。裴度、崔群曰はく、 「念の言は評悟なれば、 とした。裴度と、崔群が言うことには、「韓愈の言葉は(皇帝の)秘密を暴き立て(皇帝に逆らう これ つみ 之を罪するは まこと 誠に宜なり。然れども うち しちゅう 内に至忠を ものなので、これ〈=韓愈〉を罪に処すことはなるほど当然です。しかし(韓愈が)心中にこのうえ あら 懐くに非ざれば、 ここ いづ よ およ 安くんぞ能く此に及ばんや。 もない忠誠心を持っているのでなければ、どうしてこのような(激しく諌める)ことまでに至ること ができるでしょうか、いや、できません<=韓愈が道理に背いてまで皇帝の態度を批判したのは、皇帝に 対するこのうえもない忠誠心の表れなのです。 すこ くわんか 願はくは少しく寛仮し、 もつ かんさう きた 以て諫争を来らしめよ。」と。 どうか(広い心を持って) 少し(韓愈の罪を許し、それで(皇帝を)強く諌めにやって来る者が

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日本史 高校生

日本史わかる方教えて下さい🙇‍♀️

[3] 近代社会の幕開けと近現代社会の展開に関し、以下の設問に [3] 記号で答えなさい。 [思•判・表] (1) (1) 戸籍法と「解放令」に関する次の説明で,正しいものを一つ選び 記号で答えなさい。 (2) (教科書 P.196~197 参照) (3) ア 新政府の統治下では,大名を領主とする諸藩のうち有力な (3点×3) 一部はそのまま残り, 新政府は旧幕府の直轄領と中小藩を支配した。 イ 1869年,新政府は版籍奉還を各藩に命じたが,旧藩主を知藩事に任命したため、各藩には依然独自の 軍事力と徴税権があった。 ウ 新政府は徴税をしやすくするため, 1871年, 戸籍法を公布して家 (戸) を通じて国民を直接把握することと した。 I 新政府は江戸時代の身分制度を解体し、新たに華族,士族,平民, えた・非人の区分を設定し, 「四民平等」を実現した。 (2) 徴兵令と秩禄処分に関する次の説明で、誤っているものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.204 参照) ア 新政府は,近代的な軍隊をつくるため, 1873年に徴兵令を公布し,満 18歳に達した男子を3年間の 兵役に服させることにした。 徴兵令には多くの兵役免除規定があり、 実際に兵役に服した者の多くは、 農家の次三男らであり,各地で 徴兵反対の一揆が起きた。 ウ 廃藩置県で失職した士族には政府が家禄を与えたが、財政負担軽減のため、金禄公債証書を交付して 家禄支給をすべて廃止した。 I 秩禄処分で特権を奪われた士族の不満は大きく, 土族の反乱が起きたが、徴兵主体の政府軍が勝利を 収め近代軍隊が定着した。 (3) 自由民権運動の発展に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.214~215 参照) ア 1877年6月, 立志社の片岡健吉は建白書を提出し、 国会開設, 地租軽減、条約改正, 成文憲法制定 の4項目を要求した。 イ民権運動は全国規模に発展し, 1880年3月には国会期成同盟が結成され, 天皇に対して国会開設請願 書が提出された。 ウ 1880年11月の国会期成同盟第2回大会で、次回大会までに各政社に憲法草案 (私製憲法)提出が 義務付けられた。 I 広まる民権運動に対し政府は, 1880年4月, 政治集会開催や政治結社の活動を制限する集会条例を 制定し鎮静化を図った。

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