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古文 高校生

書き込んでいて申し訳ないです。 この文は、一段落目は稚児に対して敬意が払われていますが、三段落目からは払われておらず、主語把握ができなかったのですが、文脈から読み取るということでしょうか? 教えていただきたいです。

F ひえいざん だいそうじょう 第4問 次の文章は、室町時代の物語「児今参り」の一節である。比叡山の大僧正に仕える美少年の児は、あるとき都で、内大 かいまみ ちごいままい 姫君を垣間見し食事も喉を通らないほどの恋に陥り、実家に戻って思い悩んでいた。児の思いを知った乳母は、児が T 6の番号を 姫君に会えるよう女装して女房となる策を企てた。児は姫君への会いたさに負けて、発覚を恐れつつもそれを承諾した。以下は、 その続きの場面である。これを読んで、後の問い (問1~5)に答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に 付してある。(配点 45 ) たが たま ① 衣袴など着せ奉りて見るに、女房に少しも違ふ気色なく、あてに美しく見え給へば、母嬉しくぞ覚えける。車に乗せ奉り (注1)つばね てかの局へ行きける。 とも ひたひ ESP ふたつ のぞ 2 火よきほどに灯して、女房たちで合ひて見給ふに、二十に二ばかり足らぬほどにて、たをやかになまめかしきさま、心に くし。髪のかかり、額など、推し量りつるよりもこよなく見ゆれば、若き人々は覗きて見て、そそめきければ、乳母しおほせ たる心地して例の口利きてぞあひしらひける何か能にて」など問ひければ、親たちのおはしまし候ひしほどは、琵琶 そ習は聞こえさせ給いかども、その後はそれもうち捨てさせ給ひて」などを申しける。 くも がてその夜より留められて局に侍りて、姫君の御琴を聞き奉れども、雲居はるかに思ひやり奉りしよりはこよなく、人 知れぬ心の内は慰みつつ、嬉しきものから、また空恐ろしさであずきなきや。 琴の音に心通ひて来しかどもうき身離れぬ我が涙かな ものなど書かせて見給ふに、限りなく美しかりければ、人々もありがたく言ひ合へり。 (注2) S いたは すべて 「隈なき夜、姫君に御琴すすめ給ぶ折節なるに、「この人の琵琶を聞かばや」と仰せられて、召し出でたり。姿つき細く たをやかに少し童なるものから、愛敬付きてあてになまめかしく見乳母褒めけるも理に御覧ず、琵琶をすすめ総へ ば、「少し習びて侍りしかども。 日頃労ること侍りて打ち捨てて侍る」などとて手も触れぬを、やうやうにすすめ給へば、わ びしなで驚渉調に調べて秋風楽を弾きたるに、擬音、手使ひ、神さびて上手めきたること限りなし 殿ぎ耳を驚き給ひて -38-

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古文 高校生

この問題の解き方を教えてください🙇‍♀️🙇‍♀️ 答えはアから順に3,1,4,2,7,5,6,12,12,8となってます!!

三線部の文法的説明として適当なものを、下の①~3の中からそれぞれ選び、番号で答えよ。 (※印のヒントを参考にすること) ア髪もいみじく長くなりなむ。 ※直前の「なり」が(連用)形だから。 逃げて入れずもあらなむ。 ※直前の「あら」 が (未然形だから。 もと光る竹なむ一筋ありける。 四十に足らぬほどにて死なむこそ、めやすかるべけれ。 ※文末が (連体)形だから。 ※ 「死な」 が (ナ行変格活用だから。 月の都の人なり。 ※直前の「人」が(名詞)だから。 大納言の御女なくなりたまひぬなり。 ※直前の「ぬ」が (終止形だから。 翁やうやう豊かになりゆく。 ※程度の副詞「いと」等)を付けられるから。 久しからずして亡しにし者ともなり。 ※「し」が(過去)の助動詞だから。 ケ あやしがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。 住み慣れしふるさとかぎりなく思ひ出でらる。 ※直前の「思ひ出で」が(心)に関わる語なので。 ぬ ①願望の終助詞 ナ行変格動詞の活用語尾意志の助動詞「」の終止形 ③強意の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」の終止形) ④強意の係助詞 ⑤伝聞の助動詞「なり」の終止形 ⑥形容動詞の活用語尾 ⑦断定の助動詞「なり」の終止形) ⑧自発の助動詞 ⑨可能の助動詞 尊敬の助動詞 ⑩格助詞 接続助詞 完了の助動詞問

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古文 高校生

無明沙のおもて歌のことで、 「いみじく言ひもてゆきて」を「せっかく読み続けて表現していって」と学校で習ったのですがなぜそのようになるのか調べてもわからないのでなぜこの訳になるのか教えて欲しいです。他の訳仕方でもいいので教えて欲しいです🙏🙇‍♀️

無名抄 おもて歌のこと かもの 「恵言はく、「五条三位入道の御許にまうでたりしついでに、『御詠の中には、 やうやう はべ いづれか優れたりと思ほす。人はよそにて様々に定め侍れど、それをば用ゐ 侍るべからず。まさしく承らん。』と聞こえしかば、 うずら 「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里 たま これをなん、身にとりてのおもて歌と思ひ給ふる。』と言はれしを、俊恵また 言はく、『世にあまねく人の申し侍るには、 面影に花の姿を先立てて幾重越え来ぬ峰の白雲 これを優れたるやうに申し侍るはいかに。』 と聞こゆ。『いさ、よそにはさもや 定め侍るらん、知り給へず。 なほ自らは、先の歌には言ひ比ぶべからず。』 と ぞ侍りし。」と語りて、これをうちうちに申ししは、「かの歌は、『身にしみて』 と言ふ腰の旬のいみじう無念におぼゆるなり。これほどに成りぬる歌は、景気 2 を言ひ流して、ただそらに身にしみけんかしと思はせたるこそ、心にくくも優 にも侍れいみじく言ひもてゆきて、歌の詮とすべき節をさはさはと言ひ表し たれば、むげにこと浅くなりぬるなり。」とぞ。 そのついでに、「我が歌の中には、 9 ちゃうめい 長明 としょり 1 俊恵 一一一 俊頼(一八三ペ の和歌の師。 2 五条三位入道 注2参照。 3 夕されば・・・『 められている歌 4 深草 現在の京 5 おもて歌 代表 6面影に・・・『新 められている歌 7申ししは俊恵 10 したことには。 8 腰の句 和歌 9景気を言ひ流し と表現して 10 そらに なんと 11詮眼目。 1さはさはと 1 み吉野の・・・ められている歌。 ⑥「かの」は、どの + 1 よしの み吉野の山かき曇り雪降れば麓の里はうちしぐれつつ これをなんかの類ひにせんと思ひ給ふる。もし世の末におぼつかなく言ふ人 もあらば、『かくこそ言ひしか。』と語り給へ。」とぞ。 深い学びのために 学習のポイント①俊恵が「さば」 5 るか。 14 おぼつかなく きりしないと。 *- むげに

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古文 高校生

竹取物語について。なぜ、答えがアなのか分からないです。(途中までなので、助動詞の「つ」は使われてないかもしれないですが、問題としては成立すると思ったので、そこは気になさらないでください。) 完了の意味を入れたら、なぜ生き生きとした描写になるのですか

竹取物語 おきな おきな 今は昔 竹取の翁という 今は昔 竹取の翁といふものありけり。 野山にまじりて竹をとりつつ、よろづのこと につかひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。 つつ すん その竹の中に、もと光る竹なむ一すぢありける。あやしがりて、寄りて見るに、筒の 中光たり。それを見れば、三寸ばかりなる人。 いとうつくしうていたり。 おきな 翁いふやう、 「我朝ごとにタごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になりたま ふべき人なり」とて、手にうち入れて、家へ持ちて来ぬ。 妻の娘にあづけてやしなはす。 かご おうな うつくしきこと、かぎりなし。 いとをさなければ、籠に入れてやしなふ。 おきな 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけてのちに竹取るに、 ふし こがね 節をへだてて、よごとに、黄金ある竹を見つくることかさな おきな りぬ。かくて、翁やうやうゆたかになりゆく。(後略)

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漢文 高校生

この漢文の口語訳を読んでもよく理解できません。 分かりやすいように説明して欲しいです!

23 25 十八史略 本冊~ 書き下し文・口語訳 ( 魏軍 魏軍 魏軍 ヘテ か ら ルルコト 懿不肯戦。賈詡等日、「畏 蜀 たたか かくら こうしよく 懿肯へて 戦はず。賈詡等曰はく、「公蜀を畏るること 司馬懿はすすんで戦おう としなかった。 賈詡たちは言った、「あなた様は虎を恐れるかのように蜀を 〈疑問> H 〈使役〉 セント 魏軍 チ ム ちゃう かふヲシテ わらヒヲ いかん とら 如虎。奈三天下笑何。」懿乃使張郃 てんか わら 虎のごとし。天下の笑ひを奈何せん」と。懿乃ち張郃をして すなはちやうかふ 恐れています。 天下の笑いものになるのをどう 司馬懿は、そこで張郃を すればよいでしょうか」と。 <理由> ハニ 蜀軍むかへ フ イニ ル 蜀軍 テ クルヲ 向亮。 逆戦。魏兵大敗。以糧尽 りやうむか りやうむか たたか ぎ へいほ やぶ りやうやう もつ 糧の尽くるを以て 亮に向はしむ。亮逆へ戦ふ。魏の兵大いに敗る。 諸葛亮のもとへ向かわせた。 諸葛亮は、(それを)迎え撃った。魏軍は大敗した。 諸葛亮は、兵糧が尽きたので 魏軍 ヲ ヒ 蜀軍 ヲ と ヒ ツテふく どこ 二順接〉 ス あた 退軍郃 追之、 追之、写亮戦、伏弩而死。 しりぞ かふこれ お りやう たたか ふくど 軍を退く。郃之を追ひ、亮と戦ひ、伏弩に中つて死す。 兵を引き上げた。張郃は、これ(蜀軍)を追い、諸葛亮と戦って、弩を持った伏兵の攻撃にあたって死んだ。 地の土 蜀 > 蜀軍か かヘツテ ヲ ジヲ リ ヲ メてい 還 農講武、作木牛流馬、治邸 りやうかへ のう すす かう ぼくぎうりうば つく ていかく 亮還つて農を勧め武を講じ、木牛流馬を作り、邸閣を 諸葛亮は、(蜀へ)帰って農業を勧め、武術の講習を行い、兵糧運搬用の道具を作り、兵糧貯蔵庫を かくヲ やすメ ヲ =諸葛亮の手腕 ニシテ 〈順接> ニ フ ヲ 閣、息民休士、三年而後用之。毎月 たみ やす さんねん 始め、民を息め士を休め、三年にして後に之を用ふ。 101 整えて、人民や兵士を休息させ、三年後にこれ(兵糧・兵糧運搬用の道具・人民兵士)を用いた。 5

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