✨ ベストアンサー ✨
合ってますよ!
江戸時代末期に尊王攘夷運動が盛んになり、幕府の力は衰えていました。
そこで幕府は、朝廷(公)と幕府(武)を合体させて幕府の力を取り戻そうとしました。
倒幕勢力に対抗するためです。
これが、公武合体です。ちなみに薩摩藩などが支持していました。
まあ薩摩藩はすぐ意見を変えて薩長同盟を結ぶんですけれど…
✨ ベストアンサー ✨
合ってますよ!
江戸時代末期に尊王攘夷運動が盛んになり、幕府の力は衰えていました。
そこで幕府は、朝廷(公)と幕府(武)を合体させて幕府の力を取り戻そうとしました。
倒幕勢力に対抗するためです。
これが、公武合体です。ちなみに薩摩藩などが支持していました。
まあ薩摩藩はすぐ意見を変えて薩長同盟を結ぶんですけれど…
公武合体運動は簡単に言うと、朝廷と幕府が一緒になって日本を作ろう!って言う考え方です。
でも本当は朝廷と幕府で一緒に外国を追い払おうじゃないかぁ!って言う作戦のことを公武合体と言います!わかりにくかったらごめんなさい🙏
教えてくれてありがとうございます〜‼︎
公武合体と言えば幕末の方ですね。当時は井伊直弼が朝廷に許可を得ずに日米修好通商条約を結んだため世間からも朝廷からも幕府は批判されていました。そこで井伊直弼の後の老中安藤信正ご朝廷と幕府の融和をはかり当時の天皇孝明天皇の妹の和宮を将軍徳川家茂の妻に迎えました。そのことが公武合体です。
余談ですが日米修好通商条約の話がアメリカから幕府の方に持ち出されている時、条約の締結には天皇の勅許が必要でしたが天皇はその条約に反対していました。しかし清とイギリス、フランスがアロー戦争をして清が負けたことによりその条約を断れば清のようになると考えた井伊直弼は天皇の勅許無しに条約を結んだんです。こんなことを知っていたら多少は自慢できるかも知れません笑
なるほど!!たくさんの説明ありがとうございます!
自慢してみますね!笑
この質問を見ている人は
こちらの質問も見ています😉
わかりやすい説明をありがとうございます
,.。♡(*´꒳`*)♪♡.,/。