✨ ベストアンサー ✨
「解き方はわかっているけれど引っかかる」のは、「…… という曖昧なものを、無理やり公式で 1 つの数式に押し込めている違和感」から来ているのかもしれません。
ですが、極限の世界では「変数の数(項の数)が変化するものは、ひとまとめの関数に直さないと扱えない」という鉄則があるため、和の公式は「解くためのテクニック」というより、「計算可能な形へ翻訳するための必須作業」だと考えると、少しスッキリするかもしれません🙇
一般項のまま極限をとる(足し合わせる前に計算する)のがダメなのかには、「足し算の順番を勝手に入れ替えてはいけない(無限回の足し算の落とし穴)」という数学的な理由がある。
和の公式を通るのは「ただ計算可能にするため(辻褄合わせ)」ではなく、「無限回の足し算という曖昧なものを、具体的な数値として確定させるため」に必須のステップだから。
一般項だけを見て「近づく先」を判断してしまうと、調和級数のように、全く予測できない結果になるため、必ず足し算を完了させた結果の式(部分和)に対して極限を適用する必要がある。
屁理屈どころか、数学の本質を突いた素晴らしい視点だと思います🙇
極限を求めるのに、なんで和の公式を一回通ってから解くのだろうと思い、極限と和の関係について考えたりしていたのですが、そこには意味はなく、ただ計算可能にするために和の公式を通るってことであっていますでしょうか。また、計算可能にするためだけだったら、一般項がダメな理由などもあったりするのでしょうか。屁理屈のような質問ですみません。