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問4の答えをおしえてください。

2 4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。 (*印の付いている言葉 には、本文のあとに 〔注〕 がある。) 日本のインテリアの特徴は、柱、障子、畳、天井に生物材料を使い、 それを白木のテクスチェアで統一しているところにある。人間はもとも と生物だから、からだに接するところに生物をおくのがいちばん素直だ し、心も休まる。 生物材料で囲まれたインテリアは、自然と人工とが組 み合わされた空間だから、日本人にとってヒノキやスギの白木の肌は、 戸外の緑と同じ意味あいを持っていた。(第一段 私は木が好まれたもう一つの理由に、仏教の無常観があったことをあ げてよいと思う。われわれの祖先は自然も社会も常に移り変わるものと 悟っていた。その法則にさからわないで暮らしていくのが、日本人の生 き方であった。ヨーロッパでは神の宮居はアテネの神殿のように、永遠 その形を残すものでなければならなかったが、日本では伊勢神宮のよ うに、やがて朽ちていく木でもよかった。 (第二段) ヨーロッパ的な見方からすれば、二十年ごとに造り換えられる神殿は、 原形ではなくコピーだから、価値の低いものと考えるが、日本では芸術 も文化も心の中にあると考えるから、形が伝われば価値は変わらないと 思う。すべてのものは人間の命と同じように、限りあるはかないものと 知っているから、木のように朽ちて自然に帰っていく素材に、心を惹か れたのである。木は仏教の無常観に通ずる恰好の材料であった。(第三段) 以上のように考えてくると、ヨーロッパの「石の文化」 「金の文化」 に対して、日本の「木の文化」が生まれた理由を納得することができる。 だからこそ建物の材料には木のような生物材料が選ばれたに違いない。 その先に濡れ縁をつくったのである。(第七段) 軒は深いからなるべく軽くつくらねばならない。そこで小丸太や竹を 使って重みを減らした。 つまり家の形は中心部に畳を敷いた座敷があっ て、そのまわりを縁側がとり囲み、さらにその先に庭と接触する濡れ縁 があるというスタイルができあがったのである。中心の座敷は人間がす わる静かな場所で、縁側は通行するところ、屋外は活動の場ということ であるから、家は中心部に向かうほど静、外に向かうほど動というよう 中心から外に向かって、静から動へのぼかし模様がつくられている ことになる。(第八段) 座敷と座敷との間の仕切りは軽いふすまだから、夏になってそれをは ずすと、風は自由に通り抜ける。日本のように夏の蒸し暑い国ではこれ が何よりで、畳の上をすべって吹き込む風は天然冷房の効用がある。 高 窓から入ってくる風ではその効果はない。 伝統の和風住宅では、 ふす まと障子をはずすと、何本もの柱で支えられた屋根だけが残る。 この構 造は通風を考えてできた生活の知恵である。 「住まいは夏を旨とすべし」 という兼好法師の有名な言葉があるが、風通しのよさからいえば、これ 以上都合のよいつくり方はない。京都の町屋では間口が狭く、奥行きが 深く、左右は隣家とくっついているから、風はいやおうなしに家を縦断 する。つまり家全体が風のトンネルになるわけで、それに都合がよいよ うに、部屋と部屋とのつながりには壁がない。このように風の吹き抜け に合わせてつくられた家は、世界的にみてもその例が少ない。(第九段) 伝統的な日本の家は、どの部屋を何の目的に使うというように固定し ていない。 ただ八畳とか六畳とかいった四角な部屋をタテヨコにつない そして同じ木の使い方でも、自然のままの白木の素肌に心の安らぎを覚 えたのであった。 ヒノキやスギに触れて暮らす生活は、そうした長い伝 統によって生まれたのである。 第四段) ヨーロッパでも最近は、コンクリート住宅よりも煉瓦の住宅に人気が 戻っているという。イギリスでは特にその傾向が強いらしい。やはりそ の風土で生まれ、長い伝統でつちかわれたものに帰って行くのが、一番 自然の流れであろう。(第五段) 私たちは木を使っている間に、そうした日本人らしい考え方が身につ いて来たのか、もともと日本人がそういう民族だったために木を好むよ うになったのか、それは私にはわからない。だがいずれにしても互いに 影響し合いながら、独特の「木の文化」をつくりあげてきたことは事実 であろう。(第六段) 「家は気候風土と長い生活の積み重ねのなかから生まれてきた文化の産 物だから、土地と切り離して考えたのでは意味がない。ということは、 ヨーロッパの家がどんなに立派でも、日本という風土のなかにそのまま 移したのでは合わないし、 和風の家がいかに美しくても、ヨーロッパに 建てたのでは、住みにくいということである。日本は雨が多いから、家 は屋根の大きいのが特徴で、すっぽりと笠をかむったような形をしてい る。仏教伝来とともに歴史の始まった日本は、何事も中国の真似をした が、土間で履き物のまま暮らす生活だけは取り入れなかった。地面から 一段高いところに板を張り、そこで生活するようになった。 そしてこの 板の間を四方に延ばして縁にした。縁とは家の「へり」の意味だが、そ こには雨がかかるから、緑先に立てた柱を支えにして軒をかけ、さらに で、そのまわりをぐるりと縁側でとり巻いたものであった。 部屋の中で の立ち居ふるまいは全く自由で、どこにすわろうとねそべろうと勝手次 第である。(第十段) 部屋ごとのプライバシーなどは全くないが、そういう住まい方が出来 たのは、住む人同士の間にあるルールが存在していたからである。それ から日本独特の礼法が生まれ、茶道や華道を芽生えさせる原因になった。 部屋には定員がないが 「ご順にお詰めを願います」という無言のルール で、混乱はおきなかった 融通無碍に対応する柔らかい住まい方が、お のずから身についていたのである(第十一段) ゆうずうむげ 一方西洋の家は、周囲を厚い煉瓦の壁で囲んで、その内側に部屋を並 べ、中心部に動的な廊下やホールをおいた。 内から外に向かって、動か 静へという遠心的な配置になっていて、日本の住宅とは正反対のぼか 7 し模様である。 第十二段) 厚い煉瓦壁の家は何百年でももつから、彼らはこれを「不動産」と呼 んだ。日本の家は木造だから腐るし燃える。全体が消耗品的なつくりで、 耐久性では比較にならないほど短い。だが西洋からの翻訳でこれを同 じように不動産と呼び、 何の疑問も持たなかったところがいかにも日本 的である。(第十三段)里さ 彼らの暮らし方は、椅子、テーブル、ベッド、ソファというように、 さまざまな道具を使う。日本式のノーファニチャとは対照的である。要 所要所に道具をおいて部屋の用途を限定すれば、生活は快適なはずだが、 好きなところへ自分の居場所を移すには、家具を移動させねばならず、 ときにはそれが足手まといになることもある。(第十四段) 模擬トレTK国 トレTK 国語1回 9

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学校のプリントです。今国語で魯迅の「故郷」を勉強しているのですが、時代背景を探ろうというプリントの中で1902年の出来事だけ、なんなのかわかりません。先生からのヒントとして幻から始まるものだよという意味で幻と書いてあるのですが調べても出てきませんでした。なんだと思いますか?

「故郷」の様子や、 188(魯迅が 生まれる ヒント 1840 1851 1894 1900 1902 1912 幻 「今」でなぜこんなにも変わってしまったのだろう? 物語の時代背景を調べよう。 菜青 義和団事件 ← ・作者である魯迅は一八八一年生まれ。『故郷』の「今」は一九一九年が 舞台。 「昔(回想)」は何年頃? 「教科書、ワーク、便覧、辞書、ウェブ」を有効に活用しよう! 手 精の中でイギリス(製造はインド)からアを仕入れる ことが流行。しかし危険を感じたことから中国政府が今 負を禁止すると、イギリスの大切な資金が減ってしまうので イギリスと対立。そのまま戦争へと発展。 太平天国の乱 秀全率いる坪上市会(宗教団体)が当時貧しかった国 を変えようとして起こした反乱。キリスト教に基づいた宗教で たため、仏教・中国に古く伝わる九の教えを否定し、処刑 建物の破壊なども行った。その中国は激しい混乱に見舞 日清戦争日本清の領土に侵入したり、中国の宗教団体が日本 国に対して反乱を起こしたりして積み重なりの上に発展した 戦争。結果日本が勝つことになり国の大切資源が多くとれる な領土ャのお金を日本に支払ったので国家が大きく 混乱した 昔、イギリス・フランスとアロー戦争をしたことで入ってきたキリスト教 ことからはじまった 手「扶清洋」を掲げろ中国政府はその後強国国と の大きな戦争に負けたため、国内の貧困が進行していった。 魯迅、日本へ留学。 の考え 義和団の伝統的な考えが対立 辛亥革命 いままでの危望的状況のつみ重ねから国家を保っ ために外国の侵入を受け入れた中国政府に対して新しい 国家をつくって独立しようと考えた人々の革命。生活の安定 民族の独立自の平等の三民主義のもと活動していたが 中からわせ凱の独裁により失敗に終わる。 魯迅、中華民国政府の教育部に着任、北京へ。 1919 魯迅、紹興の家を売り払うため、帰郷。

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文章読解です。 問6の答えがウなのですが、アではないのはなぜですか?

次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(1〜7は形式段落の番号である。) の手づくりといえば個性的な一品生産、機械づくりといえば規格化された大 量生産というのが、従来の通念だろう。だが少し考えるとこれは大きな誤り であって、じつは伝統的な手づくりは本来、懸命に と大量生産をめざ ろくろ はたお していたのである。(こ轆轤づくりの陶磁器といい機織りによる布地といい、 さらに型抜きの細工物から木版画まで、規格のない職人仕事は一つとしてな かった。 ちなみに面白いのは、 (注2) ウイリアム・モリスが手づくりの復興を唱える まえ、おりから盛んになった機械づくりへの非難は、それが規格化されてい じゅうたん せいち たからではなかった。機械づくりの絨毯があまりにも精緻にしあげられ、模 様に遠近法までとり容れられているのが不自然だ、というのが反対の主旨で あった。もう一つ機械が批判されたのはその出来映えのせいではなく、機械 が労働を分断して非人間化するという理由からであった。「機械が労働の分業 35 化を進め、単純労働の反復を招いて仕事の達成感を奪うというのが、モリス の師匠格の (注3)ジョン・ラスキンの主張であった。 こうした機械批判は当然、二十世紀にいたってことごとく根拠を失ってし まった。手仕事では及ばない機械の精緻さはますます進化し、いまでは半導 体のような精密商品は機械でしかつくれない産品になった。電子制御技術が 発展するにつれて、逆に機械で一品生産をおこなうことももはや夢ではない。 『分業のもたらす労働の非人間化についても、機械が労働時間を短縮するこ とによって解決されてしまった。労働者は多くの余暇を与えられることにな って、そのなかで人間的な時間をとり戻すことができるからである。その余 暇の楽しみとして、スポーツやゲームと並んであらためて手仕事が魅力を増 したのは、皮肉だともいえる。 結果として、現代に残された手づくりの意味とは何であろうか。第一はほ かならぬ。余暇のなかの手仕事であって、手料理や庭いじりや模型づくりな ど、現実的な効用を期待しない作業の楽しみだろう。現実の効用至上の仕事 は目的の無限の連鎖のなかにあって、たとえば木を伐るのは板を削るためで あり、板を削るのは家具を組み立てるため、家具をつくるのはそれを売って

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👀 ̖́-作文です。答えがないので、不自然な所などを遠慮なく教えてください🙇‍♀️↓↓↓ 私は、少年法の対象年齢の引き下げに賛成です。資料アから、成人は刑罰を科すことを目的とし、少年は健全な育成をすることを目的としていることが分かります。もし、少年法の対象年齢を引き下げ... 続きを読む

現役進学率 卒業者数 平成25年 平成26年 【参考資料】 育成 健全な 科す 刑罰を 目的 裁判所に送られる。 原則全ての事件が家庭 終了することがある。 事手続き 軽微な犯罪の場合、刑 警察段階 ア 成人の刑事事件と少年事件の違い 処分 公開 において非 家庭裁判所 公開 原則として 裁判 保護処分 原則として 罪の重さに て必ず使うこと。ただし使用する資料の数は問わない。1 立場を明らかにして自分の考えを原稿用紙の書き方に従って二〇〇字程度で述べよ。 なお、参考資料は根拠とし そこで、あなたなら少年法の対象年齢引き下げの是非を議論する場合、どのように主張するか。賛成、反対の め、現在少年法の対象年齢も十八歳未満に引き下げるべきか否かとの議論が続いている。 年、二〇〇八年、二〇一四年と立て続けに改正されている。また、投票権年齢や選挙権年齢の引き下げに伴い、 二〇二二年四月から、成人の年齢を二十歳から十八歳に引き下げることを内容とする民法が施行される。そのた 一九四八年に少年法が制定された。それから五〇年以上改正されることはなかったが、二〇〇〇年、二〇〇七 HERDAD?TES 刑罰 大学進学率 少年 成人 で刑 よる 1088124 578153 1047392 563268 平成27年 1064376 579938 平成28年 1059266 579738 平成29年 1069568| 585184 平成30年 1056378 577562 大学進学者数 進学率 60. 文部科学省 学校基本調査より 53.2 53.8 54.5 54.7 54.7 54.7

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