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現代文 高校生

15段落の [この操作]がなんの操作を示しているのか分からないので、教えて下さい。

人 この表 のまり著作権法は、このうち前者に注目し、 が著作物であるのか否かを判断するものである。ここに見られる表現の抽出と内案 内容の二分法」と言う。 大学の専門家は「表現 いま険というあいまいな言葉を使ったが、 およそ何であれ、 れた涙 ある。この二分法は著作権訴訟においてよく言及される。争いの対象になった著作物の特性がより叙情 詩型なのか、そうではなくてより理工系論文型なのか、この判断によって侵害のありなしを決めること になる。 著作物 固定 散逸型 利用目的 そのまま 展示 上映、 演奏 複製 フォトコピー 録音、録画 移転 変形 二次的利用 翻訳、編曲、脚色、映画化、パロディ化 リバースエンジニアリング(注6) 組込み 編集、 データベース化 譲渡、貸与 表3 著作物の利用行為(例示) 16 著作物に対する操作には、著作権に関係するものと、そうではな いものとがある。前者を著作権の「利用」と言う。そのなかには多 様な手段があり、これをまとめると表3となる。「コピーライト」 という言葉は、この操作をすべてコピーとみなすものである。その 「コピー」は日常語より多義的である。 表3に示した以外の著作物に対する操作を著作物の「使用」と呼 ぶ。この使用に対して著作権法ははたらかない。何が「利用」で何 が「使用」か。その判断基準は明らかでない。 B- 17 著作物の使用のなかには、たとえば、書物のエッラン、建築への 居住、プログラムの実行などが含まれる。したがって、海賊版の出 版は著作権に触れるが、海賊版の読書に著作権は関知しない。じつ は、利用や使用の事前の操作として著作物へのアクセスという操作 がある。これも著作権とは関係がない。 このように、著作権法は「利用/使用の二分法」も設けている。 この二分法がないと、著作物の使用、著作物へのアクセスまでも著 作権法がコントロールすることとなる。このときコントロールはカ ジョウとなり、正常な社会生活までも抑圧してしまう。たとえば、

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現代文 高校生

大至急です!!!高校「森で染める人」の問題です!長文なんですが1と3の問題を教えていただきたいです、、期限がきょうまでの課題なので、早めにご回答いただけると大変助かります、!!

2 次の文章は、「森で染める人」の一部である。 これを読んであとの問いに答えなさい。 (P.100~P.109) この場所に暮らし、誘われるように色を染める日々の中で、やっとたどり着いた答えがある。 自然と関わり、自 然にかえっていく物作りの中で、 どんなに手間や時間がかかっても、その土地の"環境"を持続できる。 技術 を残していきたいということ。 私自身が色を染め、物を作る日々の中で、自分の求める表現を可能にするための技術と、それを支える環境を受 け継いでいくということだ。環境を変えてしまうほどの大きな技術が、大切に受け継がれてきた無数の小さな技術 淘汰してしまう時代に、何を手放し、 何を残していくのか。 「染める」行為は私にとって、その先にある季節を 感じることであり、 背景である土や水との関わりであり、大きな循環の一部だ。 それは染色のことだけでなく、 日々の暮らしのあらゆる場面で実感している。 野菜を作ること、山の木をきって燃料にすること、 子供が川で釣っ てきた魚を家族で食べること。自然とじかにやりとりする中で、一つの行為を自分の手の届く範囲で完結させ、循 環させること。それを可能にする環境さえあれば、きっとそれは難しいことじゃない。 どこから来て、どこへ行く のかを可視化させることよりも、それを肌で感じられる環境こそが、私には必要だったんだと思う。 草木の持つ色は美しい。私たちは今、草木染めの布を使って服を作ることに取り組んでいる。植物の色は化学染 料と比べると不安定で、全体的に淡く落ち着いた色味になる。日光による退色や変色のぐあいも植物によってさま ざまなので、 商品にするには、どの植物でもよいというわけにはいかない。 下地や定着を工夫したりして、時間を かけて染め重ねていく。 市販されている合成の助剤などを使えば、複雑な模様の表現や鮮やかな発色も可能だけれ ど、できるだけ自然の物、中身が分かる物を使いたい、 手仕事の跡を大切にしたいという思いがある。 それは本当 に手間と時間を必要とすることで、 非合理的にも思えるけれど、物があふれかえるこの時代で、自分が物を作るこ との意味を曖昧にしたくない。 自然からも人からも搾取せず、持続していける選択をしたい。 ②少しでも気を抜くと、私たちは自然の循環する輪から放り出されてしまう。 知らず知らずのうちに、その場を 断ち切っているかもしれない。 全ては自分の選択に委ねられているのだとすれば、私が今日選んだ道はどこへつな がっていくだろう。この美しい世界を次の世代へ手渡すために私ができるのは、彼らの少し前を歩くことだけだと 思う。 コケで覆われた倒木や、空に伸びるヤシャブシの木は、ただ美しくそれを繰り返している。私はまた何度で もそういうものとの邂逅を求めて山を歩くだろう。 [一]傍線部①「土地の"環境"を持続できる技術」とあるが、この内容を端的に表している一文を抜き出し、 初めと終わりの五字を答えなさい (句読点は一字に含む) [知・技] (6点) [二] 次の傍線部の漢字の読みを平仮名で書きなさい。 [知・技](3点×6) ①淘汰 ②可視化 ③曖昧 ④搾取 ⑤委ねる ° ⑥邂逅 [三]傍線部②「少しでも気を抜くと、私たちは自然の循環する輪から放り出されてしまう」とはどういうことか。 本文中の語句を用いて説明しなさい (時数制限なし) [思・判・表] (6点) 0

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現代文 高校生

対象の意味について 下の画像の文章の意味を教えてください𐔌˘- · -˘𐦯💭

対象 入試でキーワードをチェック! 西洋の近代思想は、「認識する「我」を中心におき(主観)、この我が”対象 (客観)を捉える、という主観客観の軸に添って構成された。この基軸の 意味は、主観が対象を支配することであって、その逆ではない。「我」が対象 を受容するのではない。「我」がその対象を対象として成り立たせている、と いう考えである。主観が対象を構成するとともに、「対象」というあり方が、 主観の存在を聖化する。そこで、主観=人間は、対象=世界の支配者となる。 しかし、近年、この人間中心主義に対する批判と反省の意識はいよいよ強くな ってきている。例えば、ドイツの哲学者ゲルノート・ベーメは、雰囲気という あり方に注目している。より正確に言うならば、もののあり方のなかの、対象 的な側面よりも雰囲気的な側面に注目している。意識は対象を支配するが、雰 囲気にはわれわれの方が包まれる。 きけんいち 出典 佐々木健一「日本的感性』 出題 中央大学・文学部 要約 読解のポイント 西洋の近代思想=人間中心主義 認識する「我」を中心におき(主観) 「我」が対象(客観)を捉える 主観=人間は、対象=世界の支配者 人間中心主義に対する批判と反省 対象的な側面よりも雰囲気的な側 面に注目 西洋の近代思想では、人間は対象(= 世界)の支配者となった。だが、人間中 心主義への批判と反省から、もののあり 方の対象的な側面よりも、弊気的な 面が注目されている。

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現代文 高校生

この問題なんですが 存在しないことが問題とみなされるようになったという文から必要不可欠的なのがいるのかと思ったのですが なぜ入らないのですか?

TOME NO! 例題 P.109 理由説明 ① 因果関係を説明する 技術哲学の展望 村田純一 設問で「どう れるのが〈理由説明〉でお 傍線部の原因・理由> となる内容を一 から読み取り、それを「~から(のでた め)」という形で答える。この例題のよう に、原因と結果の関係 (因果関係)〉を答 えるパターンである。これが 〈理由説明〉 の基本となる。 現実の状況というのは、多くの要因が絡み合った多様性を示すので、 人工物が用いられる場合に、必ずしも常に一義的な仕方で 使用の仕方が実現するとは限らない。しばしば、道具を設計したデザイナーの意図と反するような仕方で道具が使用されたり、あ るいは、ある状況での道具の使用を介して道具に全く新たな目的が付加されるということも起きる。やや極端な例ではあるが、金 は状況に応じて、本来の目的のほかに、人に危害を加えるためにも、ものを押さえるためにも、あるいは、芸術作品として用い られることもある。どのような人工物も、程度の違いはあれ、このような多次元性をもっているし、しかも、技術の歴史はこの種 の事例で満ちているともいえる。 の上に昔から生きつづけ 例えば、一七世紀から一八世紀にかけてヨーロッパから多数の機械時計が中国に輸入された。それらはおもに交易を求めたヨー ロッパ人が中国の皇帝に献上品として運んできたものである。当時の中国は古来の不定時法を採用していたので、機械時計は実際 の生活に役立つものではなかった。にもかかわらず、多数の時計が持ち込まれたのは、芸術作品、ないし、玩具として、おもに宮 延に関係する人々にとっての鑑賞の対象になっていたからである。この例は、技術的人工物が異なった文化的脈絡のなかで用いら 100 場合には、あらためて「解釈」される必要のあることを示しており、その意味で、異なった文化のあいだで発揮される人工物 に備わる「解釈の柔軟性」を示しているということができる。 制作された最初の目的や機能とは異なった仕方で技術が「解釈」されるようになる可能性は、二〇世紀の技術の場合にも決して 珍しいわけではない。インターネットが典型例の一つである。よく知られているようにインターネット技術のもともとの起源は軍 事的領域にあったが、現在では日常生活の新たなコミュニケーションの形態を作り上げることになった。自動車の技術もこの例に めることができる。ベンジやダイムラーらが自動車を発明する以前に、あるいは、フォードがT型フォードを開発し、自動車が 大量生産されるようになる以前に、馬車より速い乗り物がないことは「問題」ではなかったし、馬車より速い乗り物に対する強い 社会的な需要があったわけでもない。例えば、アメリカでは、自動車は最初は都市部の富裕階級によっておもに娯楽のために用い られる乗り物として登場した。農村部では、自動車は馬車による交通の邪魔になり、家畜に被害をもたらし、道路を破壊するやっ かいものでしかなく、「悪魔の乗り物」 (devil wagon) と呼ばれ、嫌われた。自動車が農村部での日常的使用にも耐えるようなデ ザインに改良され、広く普及されるようになってはじめて、つまり、自動車によって移動することが自明化し、日常的な価値基準 の一つとなってはじめて、一般に自動車が存在しないことが「問題」と見なされるようになったのである。 点で技術の創造性が発揮された例と考えられる。 これらは、既存の目的手段―連関が、技術の展開のなかで変換され、新たな目的手段連関を形成することになったという こうした事例に加えて、技術の歴史のなかには、意図に反した結果がもっぱら「否定的」に解される事例も豊富に見出される。 例えば、E・テナーは「逆襲するテクノロジー』のなかで、オフィスのネットワーク化は紙でコピーを取ることを不要にするだろ うという未来学者の予言に反して、現在のオフィスは紙であふれているという事態、あるいは、ある地域で安価なセキュリティ システムの導入がなされたが、それによって誤作動や誤報が多くなったために、かえって前よりもセキュリティのレヴェルを下げ ることになってしまったといった事例をあげて、「モノが反撃しているように見える」と述べている。 これらの事例は、技術が単なる道具に還元できない「他者性」を持つことを印象深く示している。ただし、ここで示されている 他者性は、広い意味で「創造性」ということのできる特徴である。というのも、これらの事例で示されているのは、技術の展開が デザイナーや製作者の意図に反して実現する過程であり、そしてこの過程はポジティヴに評価されるにせよネガティヴに評価され るにせよ、いずれにせよ、人工物が新たな意味を獲得する過程だと考えることができるからである。 で説明せよ。 傍線部「馬車より速い乗り物に対する強い社会的な需要」がアメリカで生まれたのはどうしてか、本文に即 90

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