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世界史 高校生

世界史です。至急で教えてくれませんか、、

【課題】李鴻章と森有礼による対話文を読み、洋務運動を推進した李鴻章が「洋服」を着なかった理由を 説明せよ。 『清の高官の李鴻章と日本から派遣された公使の森有礼が朝鮮問題などについて話し合った際の対話 記録(1876年) 李「近年、貴国で行われることはほとんど賞賛すべきものばかりである。しかし一つだけそうではないの は、貴国が旧来の服装をかえて欧風を模倣したことである」 森「その理由はとても簡単であり少しの説明ですむ。そもそもわが国旧来の服装というものは、…何も せずに楽に過ごす人には最適であるが、多くの仕事をする人にはまったく適さない。…今日の情勢にな るとまったく不便である。そのため旧制を改めて新式を用いたが、そのことで利益となることが少なくな い」 李「そもそも衣服制度というものは、人に祖先の意志を追憶させるものの一つであって、その子孫であ る者はこれを尊重してずっと保つべきである」 森「…今から一千年前にも、わが祖先は貴国の服装にすぐれるところがあるのでこれを採用した。何事 にもよいところを模倣するのはわが国の美風といえる」 李「貴国の祖先がわが国の服装を採用したのはたいへん賢いことである。…すべて貴国の産物でこれ をつくることができる。現在の洋服を模倣するようなばくだいな無駄な出費を必要としない」 森「…貴国の衣服は、洋服が優良かつ便利であることに比べれば半分にも及ばない。頭髪は長くたれ、 履物は大きく粗雑そざつであり、ほとんどわが国の人民には適さない。…しかし洋服はそうではない。 …勤労は富の基もといであり、怠慢たいまんは貧の源である。…旧来の服は…怠慢にはよいが勤労に は適していない。そうして、わが国は怠慢にして貧となるのを好まない。勤労をもって富むことを欲す る。そのため、旧を捨てて新を採用した。今は出費があっても、将来には限りなくよい結果があるのを期 待している」 李「しかし、閣下は貴国が旧来の服装を捨てて欧風をまねし、貴国独立の精神を欧州の手の内にゆだ ねたことに少しでも恥じるところはないのか」 森「少しも恥じることがないだけでなく、我々はむしろこの変革を誇りに思う。決してほかから強制され たのではなく、わが国の自ら好むところだからだ。とくにわが国は古くより、アジア·アメリカそのほかの いずれの国であっても、長所があればこれを採用してわが国に導入することを求めるのである」 李「わが国にあっては決してそのような変革を行うことはないだろう。ただ武器·鉄道·電信そのほかの 機械などは必須の品であり、かの国の最もすぐれているところなので、これを外国から採用するしかな い」 『大日本外交文書』第9巻より

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世界史 高校生

高一です 写真のノートを使っている人 答えを教えてください お願いしまーす

100 4.明代の社会と文化 (1) 明代の社会 2 江南地方の発展 米作の中心移動(江漸→湖広 :長江中流域)一“湖広熟すれは天下足る の 国際商業の活発化→中国国内の商工業の発展うながす →江逝(長江下流域)一綿織物や生糸を生産する家内制手工業が 生糸や陶磁器→日本や新大陸,、 p C が中心 陶磁器の生産一[ d コ一金融業, 徽州(新安)商人一塩産 ④ 社会組織 会館 公所(同郷者·同業者の相互扶助のための場所)の発達 ]による納税=各種の税を銀納に一本化 e 3 国内経済 特権商人の活躍 [2 5) 税制の改革 (3 )などの都市集中→文化人として活躍する者も 佃戸の困窮 大土地所有制の発達→小作農と地主の抗争激化(抗租運動)一郵茂七の乱(148) 6 都市の発展商人や[4 7 (2) 明の文化 0 特色 伝統的文化の集大成(実用的, 実践的で庶民的な文化) 西洋文化も流入 木版印刷による書物出版の急増→書物購買層の拡大へ J』『水滞伝』『西遊記』『金瓶梅』他 戯曲や講談 2 庶民文学 小説一四大奇書『[5 3 儒学 [6 (7 コ一官学とされ多くの注釈書が登場→形式化 J一王守仁(王陽明)が大成→学者や庶民にも広まる 「心即理」「致良知」「[8 おうようめい 」を説き,朱子学を批判 りじ ちん ほんぞうこうもく そうおうせいてんこうかいぶつ 宋応星『天工開物』(産業技術書) 徐光啓·湯若望ら『崇禎暦書』(暦学) 1宣教師による布教と科学技術の紹介 の 科学技術 李時珍『本草綱目』(薬学) じょこうけい のうせいぜんしょ とうじゃくぼう すうていれきしょ 徐光啓『農政全書』(農業技術書) 6 キリスト教宣教師の活動一[° (10 )一日本で布教 りまとう -世界地図の作成=「[12 大編纂事業一『永楽大典』『四書大全』『五経大全』 )(利瑞資)- J」 とう きしょう 6 その他 書·画一董其昌(南画) 5.明の衰退 (1) 日本の状況 織田信長,豊臣秀吉の日本統一(16世紀)←南蛮貿易の利益増 ヨーロッパの火縄銃統, 大砲の使用 豊臣秀吉の朝鮮侵略(1592~93,97~98) 日本では文禄 慶長の役 朝鮮では王辰·丁西優乱 じんしん ていゆうわらん →(13 )率いる水軍の抵抗,明の援軍により日本軍撤退 江戸幕府一徳川家康の対外政策=[14 貿易を促進 東南アジアに日本町を建設 16~17世紀 中国との貿易(銀令生糸)=D利益増大 ヨーロッパ諸国の進出 →ポルトガル(拠点(15 1630年代に日本人の海外渡航禁止などいわゆる[17 )),オランダ(拠点(16 ))との争い (2) 清の建国 政策を実施~幕府統治の基礎固め (18 )(清の太祖)が中国東北地方の[19 )(満州語でアイシン)と定め建国(1616) [2 諸部族を従えて支配 →国号を[20 編制,満州文字制作 太宗ホンタイジ(位1626~43) 内モンゴルのチャハルを支配し国号を清に改称(1636) 明の滅亡「内憂一(22 )の財政再建策に対する反発 政争の激化((23 Jと非東林派の争い) 宮官の横暴 一財政難 L外患一豊臣秀吉の朝鮮侵略 女真の強大化→制圧に巨額の軍事費」 重税や飢僅のため反乱頻発→(24 )の乱(農民反乱)→北京占領 滅亡(1644)

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