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英語長文ですが国語力なくて何言ってるかわからないので教えて欲しいです 疑問点は書き込んでます

:語 河合塾マナビス 23125/23129-A-03 国公立大英語読解総合 (レベル5) 第3講 復習プリント 前半 312 312 【解答】 問1 調べている薬をあるグループに与え, まったく 同じ条件の他のグループにダミーの薬を与える 方法。 ビタミン剤を与え, 残り半分の何も与えられなかった 人々と比較しても,まだ十分ではない。 問2 全訳下線部(1) 参照 問3 ② the nature of placebos 問4 全訳下線部(3) 参照 問 5 ③ ④ 【選択肢の和訳】 問3 ① プラシーボの必要性 プラシーボの性質 ③ プラシーボが印象的であること ④ プラシーボの威厳 sbulaae 問5 loderm damn i gani ① ビタミン剤を体系的に研究することにより, ビ タミン剤には風邪を予防する力はないということ がわかったので,研究者たちはもはやビタミン剤 を患者には与えていない。 ② かなり多くの人が, プラシーボの唯一の重要な 特質は,それが適切な栄養を与えることであると 信じている。 ③ プラシーボがそれに価する注意を払われてこな かったので,プラシーボを科学的に研究する必要 があると考えている人もいる。 ④ プラシーボのカプセルは,それがあまり大きく ない場合には,極めて強力であるということを示 唆するように, 非常に小さくするべきである。 ⑤ 偽薬は鮮やかな色にして甘くするべきである が,それは偽薬がアスピリンのようなありふれた ものに見えてはいけないからである。 【全訳】 研究者が,たとえばビタミン剤が風邪を予防するか どうか、体系的に調べようというときには,あるグ ループ全員に冬の間中ビタミン剤を与えて, 前年の冬 より風邪を引かなくなったかどうか最後に尋ねても意 味がない。 また、より大きなグループの半分の人々に (1) 人間の想像力はとても豊かなので, 錠剤を摂取し ている人の中には、 自分に対して何かがなされている というまさにその事実によって、 何らかの形で影響を 受けてしまう人がいる。 これではだめで,今では有能 な実験者は,どんな錠剤であれ自分が調べているもの をあるグループに与えるのと同時に、ダミーの錠剤を まったく同じ条件の別のグループにも与えるように教 育されているのだ。 このダミーの錠剤は、通常「プラ シーボ(偽薬)」 と呼ばれている。 最近まで,この「プラシーボ」そのものの特質につ いてはほとんど注意が払われていなかった。 薬理作用 のないものでありさえすれば,それ以外は重要ではな かった。 現在はそうではなくなっている。 ある医学誌 の最近号に, ある寄稿者が, 今では「研究用具」など といういかめしい肩書きをつけられたプラシーボに ついて、詳しい科学的研究を行う必要性を指摘してい た。 American Journal of Medicine では別の寄稿者 が、この件について詳細に踏み込んでいる。 この寄稿 者は,科学目的のために偽物が必要な場合には効果 的な偽物であるべきだと考えている。 つまり、現在で は次のように考えられているようだ。 プラシーボは、 赤色か黄色, あるいは茶色にすべきであり, 毒を連想 させる色である青や緑であってはならない。 味は苦く すべきだが,不快であってはならない。 カプセルや錠 剤には色をつけ、ごく小さくして非常によく効くとい うことを暗示するか, あるいは印象的なほど大きくす べきであって, アスピリンのような日常的なものに見 た目が似ていてはならない。 今では、その身体の持ち主の性格を考慮せずに, (3) ある特定の薬には身体のどこかの器官に対してある特 定の効果があると,科学的な意味において結論づける ことはできないと主張されている。 偽物に特にだまさ れやすい人は, 「普通の」 人と比べて, 自分に実験を している人たちに対する感謝の念がより強く, 看護師 に対してより協力的で,また,より話好きである.と 考えざるをえないのである。 なぜ 7 -1- どゆこと?

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高三河合記述模試国語 必然と言えるのはなぜでしょうか。

Oli awai-juku.ac.jp c 模試ナビ x 【2026年度第・・・ -0 ★スタートページ + じゅぞう まど おんたけ から解放された時に結晶することもある。また木曽の御嶽の山の上に登って行者が大きく礼拝をしている姿を見て、鹿児 島寿蔵氏は「円か」というすぐれた人形のデザインを発見したというように、しかもそれは長塚節の歌を、五〇年来、い かなる人形にしようかと思って、窮め窮めていた、そういう長い努力の結果、たまたまそれは木曽の御嶽山の山の上で見 行者の礼拝の姿に、崇高な造型が誕生したというようなこともあるのである。 いずれにしても芸の修得ということは、きわめてすぐれた芸の創造ということにつながっていくということにおいて完 結するわけだが、それはいずれもなにものかを頼むとか、なにものかによるとかということではなくて、その人の個人の ナショナルな、国際的な評価をされうることにもつながっていくものであ る」とあることから、筆者は日本で広く認められた芸は、おのずと国際的 にも評価されるはずだと考えていることがわかる。 (注4) H ウについて。 鹿児島寿蔵については第五段落に言及があるが、これ は、本文解説 や 設問別解説 問三でも確認したように、芸の創造に 至る過程の一例として挙げられた事例であると考えられる。 鹿児島が最終 的に「『円か』というすぐれた人形のデザインを発見」することができた のは、「長塚節の歌を、五〇年来、いかなる人形にしようかと思って、窮 め窮めていた、そういう長い努力の結果」、「木曽の御嶽山の山の上で見た 行者の礼拝の姿」をきっかけとすることができたからである。 仮に鹿児島 が長塚の短歌を人形にするという課題を途中で放棄していたら、人形は具 現化しなかったはずである。とすれば、彼が半世紀にわたって自身の課題 を手放さなかったことは、最終的な人形の完成にとって「必然的な要件」 であったことになる。したがって、ウが一つ目の正解である。 ☑

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画像3枚目 何故、[お母さん…お祖母さんは?]と言ったのかイマイチ分からないので、教えて欲しいです。 

例題 3 目標解答時間 とおぼ む じんざいきよし みもの 次の文章は、神西清の小説『少年』の一節である。これを読んで、後の問いに答えよ。 修業式の五日ほど前に、祖母が息をひきとった。持病はなかったから、つまり老衰死である。その死 に顔も、また死そのものとの接触感も、ともに少年の意識にのぼらなかった。父がおいおい手ばなしで、 まるで子供のように泣きながら家の中をうろうろしているのを、少年は何か不思議な観物を見るように 眺めた。お別れに、割箸の先へつけたガーゼで祖母の口を拭かされた時にも、土色に窄まって開いてい 老女のしなびきった唇は、みにくいと感じただけに過ぎない。もう一つ、そんな醜いものを半公開の 儀式にまで仕立てる大人たちの愚かさに、へんな軽蔑の情をおぼえただけにすぎない。少年はむしろ祖 母に同情した。彼女の死への同情ではなかったけれど。 わりばし けいべつ すぼ そんな少年にとって、もし何か死の実感に似たものがあったとすれば、それは祖母の死ぬ日の朝から (臨終は夕方だった)、近所の大きな黒犬が庭へまぎれこんで来て、前脚を縁側にかけながら、しきりに 遠吠えをしたことである。いくら追われても水をぶっかけられても、犬は出て行かなかった。ますます ま 牙を剥きだして吠えさかった。少年は、いよいよ祖母が息を引きとったあとで、あの犬が見ていた何か 人間の目には見えぬものが、つまり死なのだと思った。 葬列も葬式も、あらゆる大人たちのする儀礼の例にもれず、長たらしく退屈な、無意味な行事の連続 にすぎなかった。少年は南国の春の砂ぼこりの中に、小さな紋付羽織を着せられて、みじめな曝し物に されている自分だけを意識していた。腹ただしく口惜しかった。 さら 12 分

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15段落の [この操作]がなんの操作を示しているのか分からないので、教えて下さい。

人 この表 のまり著作権法は、このうち前者に注目し、 が著作物であるのか否かを判断するものである。ここに見られる表現の抽出と内案 内容の二分法」と言う。 大学の専門家は「表現 いま険というあいまいな言葉を使ったが、 およそ何であれ、 れた涙 ある。この二分法は著作権訴訟においてよく言及される。争いの対象になった著作物の特性がより叙情 詩型なのか、そうではなくてより理工系論文型なのか、この判断によって侵害のありなしを決めること になる。 著作物 固定 散逸型 利用目的 そのまま 展示 上映、 演奏 複製 フォトコピー 録音、録画 移転 変形 二次的利用 翻訳、編曲、脚色、映画化、パロディ化 リバースエンジニアリング(注6) 組込み 編集、 データベース化 譲渡、貸与 表3 著作物の利用行為(例示) 16 著作物に対する操作には、著作権に関係するものと、そうではな いものとがある。前者を著作権の「利用」と言う。そのなかには多 様な手段があり、これをまとめると表3となる。「コピーライト」 という言葉は、この操作をすべてコピーとみなすものである。その 「コピー」は日常語より多義的である。 表3に示した以外の著作物に対する操作を著作物の「使用」と呼 ぶ。この使用に対して著作権法ははたらかない。何が「利用」で何 が「使用」か。その判断基準は明らかでない。 B- 17 著作物の使用のなかには、たとえば、書物のエッラン、建築への 居住、プログラムの実行などが含まれる。したがって、海賊版の出 版は著作権に触れるが、海賊版の読書に著作権は関知しない。じつ は、利用や使用の事前の操作として著作物へのアクセスという操作 がある。これも著作権とは関係がない。 このように、著作権法は「利用/使用の二分法」も設けている。 この二分法がないと、著作物の使用、著作物へのアクセスまでも著 作権法がコントロールすることとなる。このときコントロールはカ ジョウとなり、正常な社会生活までも抑圧してしまう。たとえば、

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山月記の下にあるこのといの答え教えて欲しいです!

解答 引けの「しあわせ」 しての「しあわせ」にすぎないことを強調するため 当の「しあわせ」をつかむことは困難なことを示すため。 細もが望む絶対的な「しあわせ」ではないことを示すため。 人は「しあわせ」を求めて生きていることを示唆するため。 ( TITTURA SH 〕〔 さい。 「珠」(三・7)、「瓦」(三・8)は、それぞれどういう人をたとえたもの か。簡潔に説明しなさい。 r こり得るのだと思うて、深く懼れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。わか らぬ。全く何事も我々にはわからぬ。 理由もわからずに押しつけられたものをおとなし 受け取って、理由もわからずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐ に死を思うた。しかし、そのとき、目の前を一匹のうさぎが駆け過ぎるのを見た途端に、 自分の中の人間はたちまち姿を消した。 再び自分の中の人間が目を覚ましたとき、自分 の口はうさぎの血にまみれ、あたりにはうさぎの毛が散らばっていた。これが虎として の最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けてきたか、それはとうて 語るに忍びない。ただ、一日のうちに必ず数時間は、人間の心が還ってくる。そうい うときには、かつての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書 の章句を誦んずることもできる。 その人間の心で、虎としての己の残虐な行いの跡を見、 己の運命を振り返るときが、最も情けなく、恐ろしく、憤ろしい。しかし、その、人間 に還る数時間も、日を経るに従ってしだいに短くなってゆく。今までは、どうして虎な どになったかと怪しんでいたのに、この間ひょいと気がついてみたら、おれはどうして 以前、人間だったのかと考えていた。これは恐ろしいことだ。いま少したてば、おれの 中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。ちょう ど、古い宮殿の礎がしだいに土砂に埋没するように。そうすれば、しまいにおれは自分 4 過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い回り、今日のように道で君と出会っても故人と 認めることなく、君を裂き食ろうて何の悔いも感じないだろう。一体、獣でも人間でも、 もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを覚えているが、しだいに忘れてし まい、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?いや、そんなこ とはどうでもいい。おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、おそらく、そのほ うが、おれはしあわせになれるだろう。だのに、おれの中の人間は、そのことを、この うえなく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀しく、切なく 思っているだろう! おれが人間だった記憶のなくなることを。 この気持ちは誰にもわ からない。誰にもわからない。おれと同じ身の上になった者でなければ。ところで、そ うだ。おれがすっかり人間でなくなってしまう前に、一つ頼んでおきたいことがある。 て言う。 袁俊はじめ一行は、息をのんで、叢中の声の語る不思議に聞き入っていた。声は続け そうなゅう けいしょ 10 「自分はすぐに死を 思うた」のはなぜか。 「自分の中の人間は たちまち姿を消し た。」とは、どういう ことか。 ②経書 中国の儒学関 係の書物。 B「これは恐ろしいこ とだ。」と李徴が考 えるのはなぜか。 つゆつ 4 「おれの中の......感 じているのだ。」とは、 どういう気持ちか。 近代の小説 2 ほかでもない。自分は元来詩人として名を成すつもりでいた。しかも、業いまだ成ら ざるに、この運命に立ち至った。かつて作るところの詩数百編、もとより、まだ世に行 われておらぬ。遺稿の所在ももはやわからなくなっていよう。 ところで、そのうち、今 もなお記誦せるものが数十ある。これを我がために伝録していただきたいのだ。なにも、 19 好きしょう 記誦 記憶して暗誦 する。 9 山月記

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傍線部のところの旅もまたと書いてるところについてで、回答には10行目の別の世紀の人々にしたしむのと旅が並列されていると書いてあったのですが、私は、傍線部で旅もまたと書かれていたので、傍線部より前に並列されてるものがくると思ってしまったのですが、違うのですか?教えてください!

いま学 きる! KIMERU SERIES 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 過去問にチャレンジ 例題2-2 デカルトが四十一歳のときに公刊した『方法序説』をよむと、ごくはじめのところで、われわれは旅 というものの効用が申し分なく簡潔に指摘されている次のような一節に出会う。ただし、その効用は、 よく文字を弁え、知識として摂愛し得るかぎりの知識を時代から申し受けたひとりの若々しい人間に とって、旅が用として働くときの効用である。しかもデカルトは、旅の効用を説きながらも、旅人とし て長く異郷に暮らすという境涯の孕んでいる危険な罠から、油断のない目を離さない。旅もまた、この 短い一節のうちで相対化されている。デカルトは、同時代のフランスで人々が呼びならわしているとこ ろをそのまま用いて、こういう醒めきった目をボン・サンス(良識)と称した。 だが、これまでにギリシア・ラテン語のためには、もう充分の時をついやしたと私は思っていた。 このことは、古き世の書物との付き合いについても、そういう書中にみえる歴史また寓話についても、 同様にいえることだった。じっさい、別の世紀の人々にしたしむのと、旅をすることとは、よく似て いる。いろんな違った国民の習俗について何かを知るのは良いことだ。そうすれば、われわれ自身の 習俗について、もっと公平な判断がくだせるようになるし、われわれの風とは相容れないもの、納得 しかねるものをすべて見境なく滑稽な、不都合なものに思ったりもしなくなる。何らの見聞もない人々 4

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